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2019年 「39・40会 恵迪寮入寮55周年の集い」開催報告

[事務局からのお知らせ]

令和元年11月16日

「39・40会 恵迪寮入寮55周年の集い」の開催報告

報告者;39年入寮 佐竹正治

最初に;

この集いの最終日(10月27日)に、この会の世話役を今回もやっていた40年入寮の白浜健一君が急逝し、表題の「集い」開催報告については、八重樫幸一広報委員長から、さらに芝垣美男39・40会会長から依頼があったが、気持ちが沈みなかなかペンを取る気にならなかった。

しかし、開催報告をして、けじめをつけることが彼の39・40会への意と思い、また、白浜君への供養になるものと思い、拙文を書いて開催報告とする次第です。

集い開催;

2019年(令和元年)10月26日(土)~27日(日)に、我々39・40会(昭和39年度恵迪寮入寮者及び昭和40年度恵迪寮入寮者で作る会)会員は恵迪寮入寮55周年、39・40会設立15周年を祝うべく、北海道開拓の村および支笏湖丸駒温泉に総勢33名が集結した。
この企画は、本年5月から、39年入寮の魚山和春・長浜秋良、40年入寮の伊藤迪男・大隈昭二・佐々木 忠・白浜憲一・千川浩治・内藤春彦・吉田康祐の道内勢の諸兄が世話役の主となり、道外勢の佐竹正治が加わり、企画推進されたものだ。特にまとめ役としての白浜健一君の牽引力が大きかった。

第一部;39・40会結成15周年記念献歌祭 (開拓の村旧恵迪寮舎前にて)

10月26日(土)、12時に札幌市野幌にある野外博物館「北海道開拓の村」に39年入寮者15名(道内勢7名:上戸鎖邦男・佐藤博昭・長浜秋良・長谷部一義・魚山和春・芝垣美男(晶子奥様同行)、道外勢8名:岩永栄三郎・金子公良・木谷勝・金正出・佐竹正治・佐藤忠昭・佐野幸規・竹内巧夫)、40年入寮者18名(道内勢14名:伊藤迪男・大隈昭二・小松正幸・白浜憲一・武市博・千川浩治・内藤春彦・原田守・宮前匡雄・吉田康祐・飯田晏久・紺谷克孝・佐々木忠・伏木田政義、道外勢4名:上坂佳則・草野徳夫・成ケ沢憲太郎・安井進)が集結し、旧恵迪寮舎前まで行進し、寮舎前で魚山君の開会挨拶・進行の元、吉田君の発声で「都ぞ弥生」を斉唱し献歌した。

その後各人打ち連れて旧寮舎を訪れ、玄関にある自分の名札に見入ったり、明治から恵迪の歴史を物語る数々の展示物を見学し、自分たちの時代の観桜会のプラカードを掲げた行進写真展示に感歎したりした。展示資料は興味尽きないものが多く全部見切れなく、心を残し14時に丸駒温泉専用バスで、旧恵迪寮舎を離れ支笏湖へ向かった。車内では吉田君の手配で、缶ビール・おつまみが出、自己紹介をしながら和気藹々たるムードで進行した。
下に旧恵迪寮舎前で撮った集合写真を示す。

旧恵迪寮舎前での集合写真

 

 

第二部;恵迪寮懐古 (支笏湖丸駒温泉旅館3階風知草にて)

長浜君の開会宣言、内藤君の開会挨拶、一般社団法人恵迪寮同窓会を代表して白浜君から挨拶があり、佐々木君司会の元、メディアに残った映像を復活させ、我等の恵迪寮を懐かしく振り返る「恵迪寮懐古」を進行させた。

①伊藤君からNHK1975年放映の「新日本紀行」の上映。我等が寮生活を送った古きよき時代として記憶に残る恵迪がプロジェクターで再現された。
②大隈君が読売新聞社現役時代に連載した『「都ぞ弥生」の恵迪寮物語』小冊子が配布され、著者本人から解説・紹介された。あらためてこの冊子を読むと、多くのエピソードが随所に記載されており、参加諸兄は自分の恵迪寮に対する知識が不十分なるを知ったと思う。大隈君の功績大と思う。
③千川君が作詞・作曲した「39・40の会を言祝ぐ歌」の披露が本人からあった。「私達は 恵迪寮に 入いった」から始まる5節の歌で、最後は「喧嘩もしたし 夢も語った 老後もやろう」で終わる。我等の往時の寮生活を的確に歌いこみ、これからも集まろうとする良い作品だ。残念ながら歌の指導の時間が無く残念であった。
④伊藤君から「アサヒグラフ さらば恵迪寮」のスライドショーの提供があった。小生の手元に芝垣会長からコピーを頂いた「特集〈寮歌時代〉の終わり 北大恵迪寮よいざさらば」と題がある1983年2月11日号のアサグラフがある。
懐かしの恵迪寮よ。映像・画像・文字の中に再現されたが、私の脳裏には永遠にある。恵迪寮よ永久に栄えあれ!

第三部;懇親会 (丸駒温泉旅館 2階鼓草にて)

魚山君・千川君司会の下進行させた。

①物故者に対して黙祷をささげる
②奥様(北大卒)同行で参加された39・40会会長、室蘭で弁護士を開業されている芝垣美男君の挨拶。モツラーのお母さんが元気でいらっしゃるとの報も交えての挨拶があった。
③千川君発声のもと「都ぞ弥生」を1番から5番まで斉唱
④昭和40年寮歌「新しき陽は」の作歌者、金子公良君の発声で乾杯する
⑤暫し歓談の後、近況報告を1分間スピーチでやれとし、太鼓合図をスピーチの区切りとしたが、参加者諸兄は離寮後の数十年の経緯と、盛り沢山の話題を話そうとするので、太鼓のストップ合図が打たれても、スピーチは止まらなかった。
⑥二次会を一階特別室や101号室で行ったが、談論風発し往時の寮時代に戻ったようだった。しかし如何せん、お互い70台を越えた身、深夜に至りついにお開きとなり、飲みたいものは各自の部屋に持ち込み、温泉に入りたいものは入り、寝たいものは布団に入りと、散会した。

結;

今回は、寮歌は「都ぞ弥生」を歌ったのみで、物足りない面々もあったと推量するが、これはこれで、二次会も含め良く飲み、良く喋り合った集いとなった。「魔人の呪い」の一節「廻る盃夜も更けて 北斗傾く玻璃の窓 いざ吾が友よ熟睡せむ 明日は人生の旅なれば」を想起させられた集い終了場面でした。

以上を以て「39・40会 恵迪寮入寮55周年の集い」開催の報告とします。

白浜憲一君、無事報告することが出来たよ。安らかに眠ってくれ。  合掌

下に丸駒温泉での集合写真を示します。

丸駒温泉での集合写真

 

以上