恵迪寮のいまむかし ~過去から未来へ自治寮をつなぐ~

北海道開拓の村に移築した旧恵迪寮舎では草刈り、外壁防腐塗装、展示品の補修などの保全活動が同窓会員と現役寮生の手によって行われています。

 

introduction(前言)

1)人生のうちのわずか数年間にすぎませんが、各地から集った出自の異なる若者たちが、学ぶという目的と時空を共有して共同生活する場が学校の「寮」です。それは家族や教室や職場の人間関係とはまた違う、一種の運命共同体です。

2)これからご紹介する「恵迪寮(けいてきりょう)」は、札幌市の北海道大学のキャンパス内に現在も建っている寮です。現在は学部生だけでも男女合わせて500名近く、そのほかに院生や留学生も住んでいます。

3)その原点は、はるか明治9年に現在の時計台付近に開設された札幌農学校の寄宿舎にあります。その後の歴史については展示の中で触れますが、なぜ、ご覧のように昔の寮の建物が復元保存され、史料が展示されているのか、お話しします。

4)その理由は、昔を懐かしむためでも、研究の対象とするためでもありません。そうではなくて、寮生活が下宿やアパートのそれとは違う価値や意味を持っていた、そして現在も持っている、ということを知っていただきたいからです。

5)では、その核心はどこにあるのでしょうか?私たちは「自治」にこそあると考えています。少し大袈裟かもしれませんが、この建物の中を駆け抜けた若き魂を溶かす溶鉱炉や鍛錬する鉄床(かなとこ)の役割を果たしたのが「自治」の精神の下の共同生活でした。

6)では、「自治」とは何でしょうか?(集団では「自治」ですが、個人では「自立」という言葉で言い表されます。「自由」や「自尊心」と表裏の関係にありますし、いわゆる「大人」と「こども」の境界にあるものと言っていいかもしれません)

7)それは・・・他に頼らず、言いなりにもならず、逆に他者を支配したり、抑圧したりせず、その存在と生活を尊重し、自身の責任のもとに行動すること。そのために話し合い、考え、ルールを決め、その都度話し合うこと。

8)実際、寮では重要な議題については、寮生大会(全員参加)や代議員会(部屋代表などの参加)による議決によって意思決定が行われています。また執行委員長(寮長)も寮生全員による選挙によって選ばれています。

9)少々厄介な作業と手続きですが、これなくしては共同生活を続けてゆくための背骨が生まれないのです。つまり基本的な民主主義の手続きを踏むだけでなく、社会で不可欠な協調性や責任感、信頼感、リーダーシップなど、教室だけでは身につけられない、全人的で相互的な成長と鍛錬の場となるのです。

10)しかし「自立」するということは、いかにむずかしいことでしょうか。私たちの周りを見渡しても、他を尊重しながら頼らず、自分の頭で考えて、責任を持って言動している人がどれほどいるでしょうか?あるいは、世界の国々を見渡しても、それができている国はどれほどあるでしょうか?

11)もちろん、恵迪寮も最初から自治制だったわけではありません。日清戦争後の明治32年、戦勝に熱狂した学生による風紀の乱れを律するために寮生たちが自ら規約を作って、寄宿舎会議を基にする自治制度をスタートさせたのです。それも学校を代表する舎監との信頼関係があったからできたことですし、すでにその下地がありました。明治9年の札幌農学校開校に際してクラーク教頭が発した「紳士たれ(Be Gentleman)!」という簡潔な言葉が語り継がれ、学生たちの精神に「自立」という理念を根付かせていたのです。

12)その後、第2次大戦中の昭和17年から敗戦までの3年間、寮の委員も大学当局からの任命制となって自治自体が否定されました。

13)戦後、自治制は復活しましたが、寮の立ち位置も大きく変わりました。厚生施設化とともに学生運動の先導的役割を担うようになり、新寮問題をはじめとして大学当局との対立も先鋭化しました。が、その中でも寮歌や各種行事など、文化活動は絶えることはありませんでした。むしろ、自治制や寮の存続自体の危機に瀕して、チセ・フレップ(山小屋)建設や新寮史刊行など、寮文化が花開いた感があります。

14)残念なことに、現在、実質的に自治制が生きている大学寮は極めて少なく、全国でも貴重な存在です。かつての旧制高校の流れを汲んだ多くの寮はすでに自治寮ではなく、ほとんどがいわゆる個室集合アパートになってしまいました。

15)今このような、先の見えない厳しい時代にあって、個人の自立と個人を超えた集合体の自治が、むしろますます大切になっているように思われます。その意味でも、恵迪寮の自治の伝統を過去の遺物としてではなく、生きている例として、みなさんのこれから先の指針の参考にしていただけると幸いです。


 

恵迪寮では、現在もなおストーム、スペシャル、恵迪寮祭など、多くのイベントが在寮生から新入寮生に引き継がれ実施されています。

 

十勝の高原にたたずむ “自治の砦” 士幌小屋(チセ・フレップ)

2017年発行の会誌「恵迪」17号に「士幌小屋 チセ・フレップ~自治精神の申し子、不惑へ~」という32ページにわたる長文の特別企画が掲載されました。恵迪寮(新寮)の新築移転計画が具体化され始めた昭和50年はじめ、閉塞的に陥りやすい自治意識や文化活動に危機感を抱く有志達が大学を飛び出し自由な環境の下、“自治の砦”を構築できないかと、立ち上げたのが東大雪の麓に建つ士幌小屋でした。建設から約40年、運営の危機など紆余曲折を経ながら今日でも新入寮生の“士幌小屋ツアー”や地元の児童生徒の研修施設に利用され、創建当時の理想を貫いています。士幌小屋の存在を知らなかった昭和40年代のOBや建設企画や構想に携わった50年代以降の同窓生から大きな反響を呼んでいます。ここに全文を掲載して士幌小屋の今昔を伝えます。以下のPDFファイルをクリックしてお読みください。チセ・フレップ(PDF6.78MB)

士幌小屋活動の記録 1983年 小屋史編集委員会

(以下、抜粋)
士幌小屋「チセ・フレップ」は北大恵迪寮の寮生と十勝の士幌町が協力し、それに北大OB、教官、士幌町民、その他大勢の方々による物心両面にわたる援助をえて78年の秋にできた小屋です。
(中略)
この活動の母体となった恵迪寮は83年4月、新寮の完成と共に閉寮となります。そこで、これまでの活動をひとまずとりまとめておこうということになりました。それがこの本をつくる目的の一つです。
(中略)
これから小屋を利用する人、或いは何度も利用しているけれど、どんないきさつで建ったかよく知らない人、そんな人達にはどういう経緯でできた小屋なのか知って貰いたいと思います。逆に設立当時に関わっていたのに今は小屋のことを少し忘れかけてしまった人達には小屋がその後どんな風に使われているかをお知らせしたいと思います。
(中略)
全文は以下のPDFファイルをクリックしてお読みください。

士幌小屋活動の記録(PDF 8.2MB)

 

同窓会が管理または恵迪寮が関係している文化財を紹介します。

北海道開拓の村「恵迪寮旧寮舎」

恵迪寮舎の歴史

クラーク肖像画と総長扁額

恵迪寮食堂にあったクラーク博士肖像画

第2代恵迪寮舎内には,1891(明治24)年〜1950(昭和25)年までに総長となった佐藤昌介—南鷹次郎—(高岡熊雄)—今 裕—伊藤誠哉先生の揮毫に なる扁額がありました。大学内を探しても,これ程の扁額を揃えている学部や付属施設はありません。扁額作成の経過と揮毫者の紹介を簡潔に述べます。

歴代総長の扁額

恵迪寮と寮歌関連の碑の紹介

恵迪寮にちなんだ歌碑の紹介

 

S33年入寮の若松さんが、先日掲載した「恵迪百年記念祭写真集」を再編集し、さらに濃いアルバムにしてくださいました。

恵迪寮百年記念祭記念集

[恵迪100年記念祭 思い出のアルバム(917KB)]100album-1

 

 

恵迪寮落書集

北大恵迪寮落書集(PDF 3.6MB) S55入寮・榊原悟志氏編纂

(以下、抜粋)
本書は、北海道大学第2代恵迪寮の各部屋・廊下に記された落書きを編んだものである。
周知の如く、第2代恵迪寮は、昭和6年(1931年)11月21日より昭和58年(1983年)3月31日までの、50余年にわたり、その生命を育み続けた。
しかし、その間壁の塗り替えなどがあった為、本書掲載の落書きは昭和30年代後半以降のものである。
また、障害物等で調査できなかったり、まったく落書きの無い部屋分は掲載していない。
但し、
1.旧字、誤字を含め可能な限り忠実に再現した。
2.壁が剥がれていたり、乱筆であるために、解読出来ない文字は「□」印で表現した。
3.出身高校や氏名のみの落書きが多数あったが、割愛した。同じく掲載分落書きの寮生個人署名も割愛した。
(中略)
願わくば本書が後輩寮生諸君の未来と卒寮生の現在の役に立てば、と。

講演:北大名誉教授 七戸長生先生(昭和23年入寮)「学生寮に期待するもの」

北海道大学ホームカミングデー2017への恵迪寮同窓会参加企画、「文化講演と寮歌の集い」(平成29年9月30日(土))では、北大名誉教授 七戸長生氏(昭和23年入寮、元北大農学部長)により、ご講演をいただきました。
七戸先生は農業経済学・経営学が専門の農学者・経済学者で多数の著書をお持ちです。さらに、平成24年には、「北大の学風を尋ねて」(北海道大学出版会、2012)を上梓されています。今回の演題は「学生寮に期待するもの」で、恵迪寮の精神、共同生活による教育力などについてご講演頂きました(催事の概要は既報、同窓会ホームページ事務局からのお知らせ2017年10月6日参照)。今回、ここに掲載する資料は、講演会当日七戸先生より配布された講演資料の「代表的恵迪寮生列伝」について平成29年8月にご逝去された太田原高昭氏について是非執筆しておきたいとして、わざわざ加筆してくださったものです。

以下のPDFファイルをクリックしてお読みください。

七戸長生先生講演録(PDF497KB)

解説図-1(PDF112KB)

表1-恵迪寮史年表(PDF252KB)

表2-恵迪寮生列伝(PDF125KB)

 

青春興亡の百年・応援団概史(全編)

この度ホームページにアップしていただきます「青春興亡の百年・応援団概史」 は、恵迪寮同窓会会誌「恵迪」第6号(平成18年)第8号(平成20年)に 「恵迪サークル史・シリーズ7」として、それぞれ前編、後編を掲載していただいたものです。
この概史は、編者が在学中の昭和52年に編纂し昭和53年7月に刊行されました「応援団史」(北海道大学応援団発行)を要約し、昭和52年以降の変遷を増補したものです。
掲載時の会誌編集委員のご判断により、第5章の最後の部分を平成9年で区切り、以降を第6章・第6期(平成10年から現在まで)としてあり、また細部表現に変更がされておりますが、この度は、編者が提出させていただきました オリジナルの原稿をそのままアップしていただきました。
従いまして、会誌第8号の掲載内容と異なり、第6章の章立てはございません。
最後になりますが、概史は平成20年までの編纂であり、それ以降に悲願でありました商大戦応援団対面式も復活しましたことから、早い時期に本概史の 再増補を行いたいと念願しております。

「青春興亡の百年・応援団概史」編者 谷口哲也(昭和48年入寮)

応援団概史(PDF 2.21MB) ・年表(PDF 235KB)