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日付アーカイブ: 2019年11月8日

北大フロンティア基金《恵迪寮改修費》への寄附者ご芳名について(10月31日現在)

[事務局からのお知らせ]

1.寄附者のご芳名

北海道大学総務企画部広報課 卒業生・基金事務担当から、北大フロンティア基金《恵迪寮改修費》への2019年(令和1年)10月分の寄附の状況について連絡がありましたのでお知らせいたします。

20191031;北大フロンティア基金《恵迪寮改修費》に寄附された方のご芳名

ご寄附していただいた方々には厚く御礼申し上げます。

なお、寄附の払込期限は2020年(令和2年)9月30日までとなっています。

2.寄附の払込方法について

北大フロンティア基金への寄附金払込の方法をチラシにてご案内します。
なお、このチラシは北海道大学総務企画部広報課 卒業生・基金事務担当者のご協力を得て作成しております。
恵迪寮改修費に係る寄附金の払込方法

                                  以上


2019年 第111回恵迪寮祭を見てきました

[サロン]

第111回目となる「恵迪寮祭」が10月11日から11月8日まで開かれた。同窓会は寮祭パンフに広告を掲載し金銭支援を行っている。一般公開日は11月2日(土)から3日間であった。

 

 

初日は同窓会員11名がOBとして参集した。「玄デコ」が出迎える。いざ、出陣!

 

まず、恵迪座 11:00~12:30 を観劇した。現寮生のみによるオリジナル演劇である。
スタッフ総勢40名による大熱演であった。作/演出は長峰卓君。現寮生の若々しいエネルギー、手作り感に溢れた舞台であった。「素晴らしかった。若い力で良くやってる」は内藤先生の感想。
翌日、道新3日朝刊に掲載された影響もあってか、恵迪寮は老若男女を問わず多くの市民で溢れかえった。恵迪座の席も満員に達した。
道新2日夕刊の一面トップ記事は「開かれた寮に変わらなければ伝統を守れなくなる」と現寮の危機感を伝えた。自己満足では持たないのだろう。

【恒例の部屋デコ探索巡りを開始した。】

❶「まんが喫茶」C棟5F
コーヒーもジュースも一杯50円。居心地が良くて1時間も滞在、話が弾んだ。廊下の黒板に残った落書き「自治の砦」は今も消されないまま。円山観桜会では徹夜の場所取り組、毎年ご苦労様。
今どきのバイトは? 〇〇君の場合、授業料のみ親が負担、仕送りはゼロなので毎晩のバイトだけが頼りだ。
執行委(18名体制)やっていた時はバイトできなく困窮した。使用中のノートパソコンもガムテープで支えている。
今どきの寮費は? 自治会費1,100円、舎費4,300円、ネット使用料1,030円、ごみ袋代30~50円、光熱費4,000~7,000円(4月以降2倍に?)とのこと。

 

 

 

❷「BAR」A棟1F
腹が減ったので、皆で食べに入った。2Fの部屋デコが「釣り堀」を準備していたようだ。プールが失敗したのか、天井から雨が降ってきた。
しかし、誰も気にしていない。缶ビールも頂きながら食す。既成のカレールーではなく、スパイスから調合した懐かしい味だった。

 

 

 

 

❸「オカマ」B棟1F 執行委員会部屋
初日は自家製「サウナ室」だったはず。翌日は「オカマバー」に変わっていた。皆が女装し、化粧している。元応援団長の女声も完璧だ。
ここは大勢の市民で満員御礼だった。喝采や悲鳴で大賑わい。女子寮生も参戦していた。

 

 

❹「うどん&パフォーマンス」B棟2F
ワンちゃんが太鼓を叩き、かしこく芸を披露してくれて、ご褒美に削り節をあげた。1杯100円の「手稲山うどん」を注文する。
ところが、衣装ロッカーに隠れていたワンちゃんも出てきて「かけうどん」が良いと吠える。結局、オール「かけうどん」なのだろう。
出汁は昆布と鰹節のみ、麺は手打ち。現寮トップシェフの手作りだそうで、実にうまい。たかが「かけうどん」、されど価値あり「自治の味」がした。

 

 

 

❺「占い」B棟3F
占い師に仮装した女子寮生たち。テーブルの紙を一枚引いて、ローソクであぶると文字が浮き出てきた。結果は、今日から「新たな夢に飛びたたん」ラッキーカラーは「うす紅」。
筆者が卒業時の田坂君の歌、昭和53年第70回記念祭寮歌「草は萌え出で」三番のの一節だ。占いは全て寮歌の一節から書き留めたもの。
この部屋は寮歌普及委員会である。今は委員長が女子寮生。先の旧寮舎(開拓の村)ペンキ塗りにも駆け付けてくれた。ありがとう。

 

 

 

❻最後に、隣の厨房に潜入した。

炊務部の仕込み現場を覗いた。200人分の食材を買い出し、朝早くから作業中とのこと。シェフ6名が交代で毎日曜日19時のスペシャル準備だ。
鶏肉は32キロ、メニュー名は不明、今日は1食100円で出すと言う。寮生は皆「スペシャルできました・・・」の寮内放送が待ち遠しい。

 

 

寮自治は食と共にあるのか。今どきのエッセン事情「平日の晩飯は部屋員の当番制。ルールは、予算一人300円まで、原則3品を作り、レトルトやインスタントはNG」。
カレーやシチューのルーもNGでスパイスから、乾麺の使用もNGで小麦粉から。少し厳しすぎるか、手抜きを許さぬエッセンの掟。
昭和58年、北大七寮を統合した新々寮は食堂が廃止された。しかし、令和元年の今もなお、恵迪寮として名を残し、伝統・文化ともに何故か健在であった。


2019年 南九州寮歌祭の開催報告

[事務局からのお知らせ] [西日本支部からのお知らせ]

さる10月26日(土)南九州寮歌寮を、宮崎市内を流れる大淀川河畔「おやど金住」にて開催しました。

■ 第1部 総会、開識社

最初に校歌「永遠の幸」斉唱、幹事代表梁井道雄様(S43)から歓迎のあいさつ、続いて西日本恵迪寮同窓会事務局長・薮内晴弘様(S48)にご挨拶をいただき、会は無事進みだしました。

今回、開識社と銘打ち宮崎在住の匹田巌様(S16年入寮・農学部農学科卒)に「人生と恵迪寮」というテーマでお話をいただきました。
ご家族が満州に入植、牧場を経営されるなか、隣町に赴任していた北大卒の技官と、ご尊父に親交があった伝手で北大予科に入学なさった経緯。
当時の恵迪寮、北大キャンパス、農場の景色、時代の流れ、戦争の足音と学徒動員。特攻隊の通信士として配属 寮の同期は戦闘機で終戦直前に特攻した事実。
恵迪寮の売店に戦時中でも並ぶバターやミルクの話にほっこりしつつ、復学後の食糧難時代、満州引上家族との生活再建など
時代に翻弄され、時代に上書きされてしまった壮絶な恵迪時代に胸が熱くなりつつ、我々も考えなけてばいけないものが確かにあることを感じました。

講演では、ご自身からの要望で、マイクと椅子を用意するものの、座ることなくホワイトボードとマイクなしでお話をいただき、96歳とのお年を伺い改めて驚いた次第でした。

■ 第2部 懇親、寮歌祭

改めて宮田喜代志(S53)幹事長より歓迎、乾杯のあいさつ、北部九州からご参加いただいた幹事団を代表して明官秀隆様(S48)からご挨拶いただき宴は始まりました。

お宿のおすすめ、海鮮炭焼きが用意されるも、みな話に花が咲き、炭化していく料理を残念に思いつつ話は尽きません。
ここで今回ご参集いただいた皆様に一言自己紹介をお願いしました。
宴たけなわでのタイミングだったのか全く終わりが見えない状態、宿からもそろそろ部屋に戻って欲しいとの事だったので、そのまま若手の寝部屋にて2次会スタート、ストームこそ周囲に気遣いできませんでしたが、水産放浪歌、都ぞ弥生など寮歌を奏でつつ尽きない話で夜は更けてゆきました。

翌日は、ホテル前で記念撮影、来年100歳を迎える「瓔珞みがく」を歌い、今回の会は散会となりました。

<出席者(敬称略)>

匹田巌(S16宮崎)、植村敬一(S38宮崎)、梁井道雄(S43熊本)、園山俊浩(S45鹿児島)、大見正治(S46熊本)、  藪内晴弘 (S48京都)、明官秀隆(S48福岡)、宮田喜代志(S53熊本)、横田喜一郎(S55大分)、井上英樹(S61福岡)、押場昭人(S61福岡)、三角公太郎(S61熊本) 以上12名

(文責;三角公太郎(S61入寮))

匹田巌(S16)の開識社講演

 

講演風景 用意したマイク、椅子全く不要の図

 

講演終了後、匹田先輩を囲んで

 

匹田先輩(S16)談笑風景、右:押場昭人さん(S61,78代応援団)

 

藪内(S48)先輩、京都より来ていただきました

 

植村(S38)先輩 絶好調!

 

若手寝部屋にて飲み会再開

 

翌朝、大淀川河畔 ホテル前にて

 

以上