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日付アーカイブ: 2016年10月7日

9月24日の恵迪寮同窓会主催の文化講演会について投稿がありましたので紹介させていただきます

[サロン]

恵迪寮同窓会・文化講演(2016・9・24)の所感

                             2016・10・6                                  佐々木 忠(S40入寮)

「内村鑑三・有島武郎と千歳アイヌ民族――札幌農学校の歴史を見直す――」

               ~講師 北大名誉教授 井上勝生氏の講演(骨子)~

 井上講師はこれまで北大史では軽視されてきた内村鑑三と有島武郎をとりあげ、詳細な1次史料に基づき、札幌農学校の実像の究明の道に分け入り、初々しい講演で熱演した。90人近い聴衆が聞き入った。

これまでの農学校像の根本的見直しの必要性を想起される刺激的なものであった。 質疑応答では、講演で取り上げられた上野正の孫(上野武彦・七飯町)が質問に立つなど、活発な雰囲気に包まれた。

◇  ◇

内村鑑三の新発見資料によれば、開拓使漁猟科の鑑三は千歳川・石狩川調査後の復命書で、「サケ漁を厳禁せば旧土人(アイヌ)飢餓に落陥する」と禁漁制度の見直しを上申したが否定され、辞任に及んだ。

アイヌ民族は「怠惰」扱いされてきたが、十勝の310戸のアイヌは請願書運動を行い、主体的な決断と集団的な行動力は目を見張るものがある。

1899年旧土人保護法が制定されたが屈辱的民族差別法でり、帝国議会で審議前に、和人上野正(前出)は官を辞しアイヌ民族組合長に就き、保護法案批判の長大論文を展開した。

他方、橋口文蔵は、虻田郡に600haの貸付を受け、1888年(M21)年札幌農学校長に就任(道庁第2部長兼職)するが、十勝アイヌ民族の共有金を株券に換えその会社が経営破綻する等で非職され、後の佐藤昌介らの植民論も「文明」論的でありアイヌ蔑視であった。

また有島武郎は1899年「星座」の中で、千歳川アイヌ・シムキをモデルとして千歳川のサケ漁禁止制度を通じてアイヌ民族への正当な注目と認識を示しているのが注目される。

内村が1882年に千歳川官営孵化場を視察、その後有島が1900年3月に4回生とともに千歳川へ旅行している。内村と有島の思想は、虐げられた民族(アイヌや朝鮮人)への平等視がみられる。そこには佐藤校長ら農学校への批判的言動をみてとれる。

 

以上

 


10月2日掲載の恵迪寮同窓会主催の文化講演会の内容を追補します

[事務局からのお知らせ]

『内村鑑三・有島武郎と石狩川・千歳アイヌ民族―札幌農学校の歴史を見なおす―』

                       ~井上勝生北大名誉教授講演の概要~

文化講演会は、北大・恵迪寮精神の継承の場として開催しOBや一般市民ら約100名近い参加がありました。

今年は、北海道大学名誉教授 井上勝生氏(元北大大学院文学研究科教授)をお招きし、『内村鑑三・有島武郎と石狩川・千歳アイヌ民族―札幌農学校の歴史を見なおす―』と題するご講演をいただきました。

井上先生は日本近代政治史がご専門の歴史学者で、幕末維新の研究、明治日本と北海道の研究などをされています。

青年期の内村鑑三・有島武郎とアイヌとのかかわりについて新たに発見された資料をもとに北海道の歴史風土とともに学びました。

内村鑑三は思想家、無教会主義などとして知られていますが、札幌農学校を農学士(水産専攻)として卒業後、開拓史・札幌県では漁業調査・水産学の研究を行い、鮭漁なくばアイヌは飢餓に陥ることを確認し、千歳川・石狩川サケ漁実況調査復命書(新発見史料)、千歳川鮭漁開業の義などにより、鮭の保護とアイヌによる鮭漁の継続などについて提案し却下されています。

他方、アイヌ共有財産の道庁管理をめぐる紛争、北海道旧土人保護法の歴史的役割などアイヌと札幌農学校(第3代札幌農学校橋口文蔵校長や卒業生の一部)とのかかわりについて批判的に評価し、さらに有島武郎は卒業旅行でアイヌに接していたにもかかわらずなぜその文学で多くを語らなかったなど興味深い解釈も語られました。

内村鑑三の青年期の行動・思想がうかがえる資料に接し、離札・渡米後の内村の展開をより理解する契機になり、また、アイヌとのかかわりのみならずより深く北大精神・行動を考えるにあたって札幌農学校の歴史を見なおす良いテーマでした。

先生のご講演・研究は多くの文献資料を渉猟し実証的に進められ、歴史研究と評価の際の基本的姿勢を確認させらるとともに、アイヌにかかわる取組の成果は、内村の「代表的日本人」における「使命はときに未知なる他者によって引き継がれる」を思い起こさせます。

講演会レジュメ

講演会の配布資料

以上