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第25回恵迪寮同窓会 開識社講演会について

[北海道支部からのお知らせ]

第25回恵迪寮同窓会 開識社講演会について

北海道恵迪寮同窓会

1 日 時 2024年11月12日(火)18:00~19:30

2 会 場 札幌時計台ホール  札幌市中央区北1条西2丁目

3 講 師 金田 正裕 氏  株式会社流通総合研究所 代表取締役

【略歴】
・1948年 北海道生まれ
・1971年 北海道大学水産学部卒業
・同年  (株)ダイエー入社後、商品統括本部(鮮魚部門)バイヤー、スーパーバイザー、Kマートプロジェクト室歴任
・1981年 退社
・同年  (株)フレッシュフード研究所を設立
・1989年 (株)流通総合研究所を設立し、現在に至る

【専門分野】
①食品分野のマーケティング、マーチャンダイジングの技術指導、調査研究
②酒MD改革指導、生鮮食品を含むMD提案技術指導
③食品卸と食品メーカー、食品関連機器メーカーのリテールサポート指導事業

【実績】
①スーパーマーケット、百貨店、食品メーカー等延べ200社の指導実績(ダイエー、マルエツ、イトーヨーカ堂、イオン、コープ等)
②行政官庁の調査事業(農林水産省、水産庁、千葉県庁、盛岡市等)
③各種業界団体、研究所所属、海外関係にも精通し、著書多数 元漁業経学会会員

4 演題
「スーパーマーケットのお話」

5 申し込み
・参加される方は、10月27日(日)までに千原メール(chihara036@ybb.ne.jp)に、
「講演会参加」と明記して申し込んでください。
・なお、講演後に夕食会(5000円、「海へ 時計台前店」)を計画しています。こちらへの参加を希望される方は「夕食会参加」とお書きください。

 

令和6年11月12日(火)の「第25回開識社講演会」の講演の主旨について

 1971年に北大を卒業して㈱ダイエーに入社が決まったので、上京しました。でも終戦を経て有店舗時代に入ったとはいえ、下記の写真にあるようにまだまだ「引き売り、振り売り、対面販売」等は続いていました。
 日経新聞等では勇ましく「流通革命」という言葉が飛び交っていましたが、現場は「非科学的な属人主義、温度管理されてない生鮮食品、販売単位不明の一ザル売価、まな板から離れようとしない我儘でくわえたばこの職人等がまかり通っていました。
いつの頃からか「嘘の無い商売」という嘘のようなテクニカルターム(専門の技術用語)が業界に、私の職場であるダイエー商品本部にも生まれます。日本社会は豊かになり、所得が上がってきました。商品も、売場も、お店も、店長も、バイヤーも・・・もっと襟を正さなくてはならない。
どういう仕事をすべきなのかと、自問自答し始めました。そのような時「大木先生」に巡り合い、「GHQ」と経験された昔話をお聞きします。
 戦中に早稲田で旗を振っていたので放校処分を受け、池袋で「金物」屋をやっていたそうです。毎日「大福帳」をつけていたのをGHQが聞きつけ、数台のジープでやってきました。それから製配販合同の委員会が立ち上り、初回の作品が「青色申告会」、次が「中小企業診断士制度」づくりだったとのことです。GHQは「憲法の押し付け」だけでは無かったのです。若い自分は「凄い!」なと思いました。私もそういう仕事をしたいと思い、ダイエーには内緒で休日に大木先生のカバン持ちを始めました。私が「流通・商業のコンサルタント」を始めたそもそものお話です。それから40年以上が経ちました。
 流通・商業の近代化は、最も遅れて手が付いた最後の産業分野と言えます。そうして今、第二次産業革命の「脳化社会」が始まっています。今日は、皆さんと上記のような今までとこれからを考えてみたいと思います。

2024年8月2日、金田

【添付写真】

「納豆の振り売り」屋さん

「野菜の行商」さん

左の写真は「納豆の振り売り」屋さん、右の写真は「野菜の行商」さん

今の40代以降の若い方は、ご存じ無い風景のようです。

右の野菜販売の行商のお母さん方は、都内で私が乗車していた「旧国鉄」では毎日出会う風景でした。

でも・・・いつも間にか消えてしまいました。

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