昭和49・50・51年恵迪寮入寮50周年の集いが開かれました
[事務局からのお知らせ]
昭和49・50・51年に恵迪寮へ入寮した同窓生による「恵迪寮入寮50周年の集い」が2026年5月19日(火)に北海道大学のクラーク会館で開かれました。この3世代の周年の集いは40周年以来2度目で、道内外から元寮生54人(49年入寮16人、50年入寮14人、51年入寮24人)とご同伴者1人の計55人が参加。併せて現在の恵迪寮や北海道開拓の村に保存・展示されている旧恵迪寮を見学しました。古希前後になった同窓生は青春時代を懐かしみながら旧交を温め、寮歌を思い切り歌って、第2の人生、第3の人生に向けての英気を養いました。
入寮50周年の集いは、2025年8月に、吉成久和君(S49年)を中心に11人で世話人会をつくってLINEを活用して準備を進めました。詳細が決まると、宿や飛行機を早めに手配できるよう9月に案内状をメールで送信し、アドレスが不明な人にはハガキで案内しました。
クラーク会館大集会室での集いは千原治君(S50年)の司会で始まり、開式の辞に続いて、昭和6年閉寮記念寮歌「別離の歌」が流れる中、31人の物故者に黙祷を捧げました。世話人代表の吉成久和君があいさつし、橋本博行君(S49年)の発声で乾杯。会食しながらの懇談に移り、テーブルごとに話が弾みました。会食の途中からは参加者の1分スピーチ。寮時代のこぼれ話のほか、卒業後のそれぞれの歩みも語られました。
スピーチの後はいよいよ寮歌の高唱です。「瓔珞みがく」を皮切りに、「藻岩の緑」「北の都は」校歌「永遠の幸」などを歌い、小林次郎君(51年)の前口上で「水産放浪歌」と「都ぞ弥生」。参加者全員が肩を組んで歌った「都ぞ弥生」の高らかな歌声は半世紀前と変わりませんでした。
二次会は30人余りが北大近くのジンギスカン店「義経」へ。ここでも後半は寮歌祭となり、「湖に星の散るなり」「寒気身を刺す」などを歌って、最後に再び「都ぞ弥生」を、肩を組んで5番まで歌い上げました。
入寮50周年の集いに先立って行った現恵迪寮の見学会には18人が参加し、先ず、吉成君が小田恵大寮長に寮生支援金として5万円を寄贈しました。寮の見学は小田寮長ら3人が案内役を買ってくれ、「都ぞ弥生」の歌詞が大きく掲げられた共用棟をはじめ、居住部屋や図書資料室、風呂などへ。ゴミが散乱し、汚いのは相変わらずでした。居住部屋は個室と、個室の壁をぶち抜いて造られた寝部屋や勉強部屋などの大部屋がありました。食堂はありませんが、毎週日曜日には「スペシャル」と銘打った炊き出しがあり、共同生活によって多くのことを学ぶのは今も変わらないようです。文化活動常任委員会、寮史編纂委員会、寮歌普及委員会など委員会活動は活発とのことで、部屋サークルは「部屋趣旨」の下で個性的な活動をしているそうです。共用棟には、95年の水産追いコンで起きた死亡事故後に結成された飲酒事故防止対策特別委員会による飲酒の注意を呼び掛けるポスターが貼られ、寮自治の伝統が様々な形で受け継がれていました。
集いの翌日(5月20日)は、北海道開拓の村の「旧札幌農学校寄宿舎・恵迪寮」を17人が見学しました。恵迪寮の展示は、2025年4月に同窓会と現寮生が共同で北寮3部屋を大幅にリニューアルしたものです。展示物には山本牧君(S49年)、鹿田幸年(S50年)が撮影した写真も数多くあり、参加者は懐かしい顔を見つけては、盛り上がっていました。
恵迪寮入寮50周年の集いは、同窓会の甲斐陽輔事務局長や佐藤静子さんらの協力もあって、盛況のうちに無事に終了しました。集めた会費は、飲食費、会場費、雑費、寮支援金などに用い、余剰金116,147円を北大フロンティア基金・恵迪寮改修募金に寄付しました。
<世話人会>
S49年 吉成久和、荒木肇、橋本博行、山本牧
S50年 鹿田幸年、高橋俊、千原治、布野洋一
S51年 岩井隆郎、内田敏博、小野高秀



