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ホームカミングデーが行われた9月29日(土)の夜、午後7時から、『46・47・48年連合大同期会・第2回前夜祭』が開催されました。
会場は、昔懐かしい「グランド居酒屋富士」。
昨年に引き続き、今年で2回目となるこの催しは、昭和47年入寮組が入寮50周年記念となる2022年に、前後入寮組とともに盛大に連合大同期会を開催することを目的とし、『助走』として毎年「前夜祭」を行おうというものです。(※下記のスケジュールご参照)
今回も、地元北海道はもとより、本州からの参加者も加え、下記の総勢13名で開催されました。昨年以来1年ぶりという再会もあれば、卒業以来という邂逅もありで、賑やかに進行しました。
近況報告や卒業以来の来し方、在寮当時の隠れたエピソード暴露をはじめ現恵迪寮の改修停止問題など、昔日の部屋コンパを髣髴(ほうふつ)とさせる宴が続きました。
そして名残は尽きませんが、最後は「都ぞ弥生」を斉唱し、再会を約して散会しました。
◎参加者(順不同)
昭和46年入寮
三上善樹 君
高橋孝一 君
栗山恵二 君
昭和47年入寮
長谷川裕正 君
福永徳三郎 君
矢野哲憲 君
山本博巳 君
岩崎 正 君
野本 健 君
昭和48年入寮
金子堅三 君
江本永二 君
藪内晴弘 君
谷口哲也 君
◎スケジュール 2017年 第1回前夜祭
2018年 第2回前夜祭
2019年 第3回前夜祭
2020年 第4回前夜祭
2021年 第5回前夜祭 「昭和46年入寮50周年記念大前夜祭」
2022年 昭和47年入寮50周年記念「46・47.48連合大同期会」
2023年 後夜祭 「昭和48年入寮50周年記念大後夜祭」

食べて飲んで、そして歓談

集合写真
(谷口哲也記)
以上
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佐川光晴さん(作家、S58入寮)から、以下のような連絡がありましたので
お知らせします。
…………………………………………
みなさま へ
来週10月1日(月)から日刊ゲンダイで『昭和40年男』という小説を連載します。
それについてのPR動画が今日(9月28日)から公開されています。
「日刊ゲンダイ youtube 佐川光晴」
で検索してみてください。
佐川光晴
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(追記)
「日刊ゲンダイ youtube 佐川光晴」は、以下のとおりです。
以上
[サロン]
【謹告】
恵迪寮同窓会広報委員長の八重樫幸一(S41)です。
この度、昭和36年入寮の加藤忠一さん(画家、相模原市在住)から、次のようなお話をいただきました。「恵迪寮時代の生活を絵にしたため、それを本として出版しました。ついては、それを何回かに分けて恵迪寮同窓会のFacebookページに公開していきたい」とのことです。
これも、広い意味での恵迪寮の文化的財産といえるだろうと思い、快く申し出をお受けすることといたしました。
※ホームページにも掲載します。
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29バイト:
毎朝事務室から放送がある。バイトの募集だ。「草むしり600円、二人」それを聞いて、希望する寮生が集まり、抽選で決定する。もちろん、学校は休むのだ。筆者も、絵にあるようないろんなバイトをやった。肉体労働ものはきつかった。

29バイト
30寮歌・「都ぞ弥生」歌碑:
筆者が入寮する前の昭和32年に、歌碑ができた。寮の横、原始林の入口にある。「都ぞ弥生」は明治45年の寮歌であるが、以後も毎年一曲作られてきている。応援団に指導されて事ある度に歌わされるので、今でも20曲は空で歌える。

30歌碑
31スペシャルエッセン:
夜11時過ぎ、寮内に鐘が鳴りわたる。スペシャルエッセンだ。都合で夕食を食べることができなかった者の分を、希望者に与えるのだ。腹を空かした寮生が、それっとばかり食堂へ走る。冷え切ったご飯に熱湯をかけて、温めてから食べた。

31スペシャルエッセン
32スキー・スケート:
体育単位取得のためには、水泳の他にスキーかスケートのどちらかの検定合格も必要だった。筆者はスキーで受けた。スキーの話では、初雪の日藻岩山に部屋の連中と行ったら、翌日の道新に掲載されて、皆全く驚いたことを思い出す。

32スキー
33風呂場:
風呂場は、一番奥にあった。だから新寮のはずれの部屋などは、寒い冬など最悪だった。300人もいたのに、風呂場が混雑して困るなどということはなかった。寮生の行動時間が違っていたからなのかどうか、分からない。

33風呂
34夜食・ラーメン屋:
とにかく若いから、夜の寮食だけでは腹が空いた。スペシャルエッセンにありつく他に、ゲルがある時は、夜食を食べに行った。病院前通りに寮生馴染みのラーメン屋があった。スペシャルエッセンとは比べ物にならないくらい美味かった。

34夜食
35図書室:
飲んで、歌って、踊るような生活ばかりやっていたように思われるだろうから、最後は格調の高い話題で締めたいと思う。寮には、図書室があった。ここには夜遅くまで勉強する連中がいた。だが筆者は、もちろん(?)行ったことはない。

35図書室
以上
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【謹告】
恵迪寮同窓会広報委員長の八重樫幸一(S41)です。
この度、昭和36年入寮の加藤忠一さん(画家、相模原市在住)から、次のようなお話をいただきました。「恵迪寮時代の生活を絵にしたため、それを本として出版しました。ついては、それを何回かに分けて恵迪寮同窓会のFacebookページに公開していきたい」とのことです。
これも、広い意味での恵迪寮の文化的財産といえるだろうと思い、快く申し出をお受けすることといたしました。
※ホームページにも掲載します。
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24部屋ストーム:
寮では、毎晩どこかのサークルがストームをかけてきた。各部屋を廻って、強引に酒を飲ませ、スキー板を片手に踊りまくる。軟弱だと思われていた我がサークルも、その風評を吹き飛ばすため一度実行した。完全に疲れ果てたものだ。

24部屋ストーム
25寮の自治:
寮は寮生の完全自治で運営されていた。そのため、四半期任期の執行役員が選挙で選ばれて、彼らを中心に運営された。選挙は、応援団系と学生運動系の二派で行われ、激しいものだった。これは代議委員会。こちらは大議論はなかった。

25代議委員会
26合同発表会:
寮には三つの芸術サークルがあった。このサークルで合同発表会をやっていた。五月と秋の寮祭の時の2回、クラーク会館で行われた。観客の入りは多くなかったが、結構楽しかった。

26発表会
27ハイキング:
我がサークルの強みは、女性がいることである。30人ばかりの団員の親睦を図るため、春秋2回ハイキングを行っていた。この絵は、空沼小屋一泊ハイキングのもの。小屋は小さく、我が団員で貸し切り状態だった。

27ハイキング
28放牛:
寮のすぐそばに第二農場牧舎があった。ここには多くの牛が飼われていた。牧舎周りで放牧されているのだが、どういうわけか寮の周りまで出て来ているときがあった。大都会の大学としては全く異例な、牧歌的雰囲気の大学だった。

28放牛
以上
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【謹告】
恵迪寮同窓会広報委員長の八重樫幸一(S41)です。
この度、昭和36年入寮の加藤忠一さん(画家、相模原市在住)から、次のようなお話をいただきました。「恵迪寮時代の生活を絵にしたため、それを本として出版しました。ついては、それを何回かに分けて恵迪寮同窓会のFacebookページに公開していきたい」とのことです。
これも、広い意味での恵迪寮の文化的財産といえるだろうと思い、快く申し出をお受けすることといたしました。
※ホームページにも掲載します。
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19ポプラ並木:
超有名なポプラ並木が途切れた辺りから、さらにはるか向こうに寮が望めた。寮の裏手は原始林だったので、建物はわずかしか見えなかった。この辺りに立つと、広々とした如何にも北海道という感じがした。ポプラも爽やかな木だった。

19ポプラ
20寮祭・ファイアストーム:
9月は寮祭。寮をあげての祭りだ。いろんな行事がある。しかし、何と言っても最大の興奮をもたらすのが、ファイアストームだ。全寮生が肩を組み、飲んで、歌って、踊りまくる。もちろん、歌は寮歌、踊りはストーム踊りだけだ。

20ファイヤーストーム
21寮祭・仮装行列:
もう一つは仮装行列。時の話題を大テーマにして、4つの寮毎に小テーマを仮装で表現した。この年は、「カッパ社会の倍増」がテーマ。お金をかけない手造り仮装なので、お世辞にも綺麗とは言えない。むしろ汚いといった感じだった。

21仮装行列
22寮祭・駅前ストーム:
入学のため裏日本の田舎町から初めて札幌駅に着いたとき、広い駅前通りを見て、清々しさを感じた。その駅前で、我が物顔で踊り狂ったのが、駅前ストームである。ストームの歌の替え歌もあった。♪早くなりたや札幌の~農学士~。

22駅前ストーム
23水産生追いコン:
水産学部は函館にあったので、水産学部生は9月末には寮を出なくてはならない。そこで、追い出しコンパが行われていた。食堂でのささやかな料理と酒でのコンパだ。「水産放浪歌」を歌い、「別離の歌」を歌うと、本当に寂しくなった。

23追いコン
以上