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加藤忠一さんの自作絵画の公開について(第6弾)

[サロン]

【謹告】
恵迪寮同窓会広報委員長の八重樫幸一(S41)です。

この度、昭和36年入寮の加藤忠一さん(画家、相模原市在住)から、次のようなお話をいただきました。「恵迪寮時代の生活を絵にしたため、それを本として出版しました。ついては、それを何回かに分けて恵迪寮同窓会のFacebookページに公開していきたい」とのことです。
これも、広い意味での恵迪寮の文化的財産といえるだろうと思い、快く申し出をお受けすることといたしました。

※ホームページにも掲載します。

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24部屋ストーム:
寮では、毎晩どこかのサークルがストームをかけてきた。各部屋を廻って、強引に酒を飲ませ、スキー板を片手に踊りまくる。軟弱だと思われていた我がサークルも、その風評を吹き飛ばすため一度実行した。完全に疲れ果てたものだ。

 

24部屋ストーム

 

25寮の自治:
寮は寮生の完全自治で運営されていた。そのため、四半期任期の執行役員が選挙で選ばれて、彼らを中心に運営された。選挙は、応援団系と学生運動系の二派で行われ、激しいものだった。これは代議委員会。こちらは大議論はなかった。

 

25代議委員会

 

26合同発表会:
寮には三つの芸術サークルがあった。このサークルで合同発表会をやっていた。五月と秋の寮祭の時の2回、クラーク会館で行われた。観客の入りは多くなかったが、結構楽しかった。

 

26発表会

 

27ハイキング:
我がサークルの強みは、女性がいることである。30人ばかりの団員の親睦を図るため、春秋2回ハイキングを行っていた。この絵は、空沼小屋一泊ハイキングのもの。小屋は小さく、我が団員で貸し切り状態だった。

 

27ハイキング

 

28放牛:
寮のすぐそばに第二農場牧舎があった。ここには多くの牛が飼われていた。牧舎周りで放牧されているのだが、どういうわけか寮の周りまで出て来ているときがあった。大都会の大学としては全く異例な、牧歌的雰囲気の大学だった。

 

28放牛

 

以上