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北海道恵迪寮同窓会  総会・寮歌歌始めの会 開催報告

[事務局からのお知らせ] [北海道支部からのお知らせ]

 

北海道恵迪寮同窓会「総会・寮歌歌始めの会」開催報告

と き:令和4年7月2日(土) 11:00~14:20

ところ:総会…日本聖公会北海道教区 札幌キリスト教会

寮歌歌始めの会…クラーク会館西側 日本庭園

本来ならば今年の1月に開催する予定であったが、コロナ禍の中「なんとしても対面で寮歌を高歌放吟したい」との思いを叶えるため、数回の役員会で議論を重ね約5カ月延期しての開催であった。総会は23名の参加を得て、会則に則り内藤春彦会長の議長のもと、事業・決算・監査報告、事業計画・予算案、役員案が滞りなく承認された。

その後、中央ローンで握り飯の昼食をとり、寮歌歌始めの会の会場に移動した。折しもこの日は北大商大応援団対面式がコロナを経て3年ぶりに行われる日であった。中央ローンでの食事もそこそこに、大通の対面式会場に向かう応援団・恵迪寮生の一行がクラーク像の前で「ストームの歌」を乱舞するのを激励した。

寮歌歌始めの会は現役の寮生1名を含めた22名の参加で、屋外となるクラーク会館西側日本庭園で行った。ここには「大志亭」と名付けられた四阿があり、そこに同窓会旗と寮歌の幟を飾って仮ステージをしつらえたのであるが、夏の緑の中でなかなか趣のある会場となった。急遽、「蚊対策」として防虫スプレーや蚊取り線香を用意したのも一興であった。

今回は歌う寮歌を初めから決めないで、参加した人が「歌いたい寮歌」を出して皆で歌うという形式をとった。それそれが選んだ理由などを簡単に紹介したり、歌い終わった後に寮歌にまつわる思いを相互に披露したりして、深みのある寮歌祭となった。加えて、屋外であったので、誰はばかることなく思いっきり歌えたことにより所期の目的が達成できた寮歌祭となったものと確信する。

最初と最後には「都ぞ弥生」(明治45年)を歌ったが、参加者がリクエストした「歌いたい寮歌」は次のとおりであった(歌唱順)。

・「悲歌に血吐きし」(昭和30年)

・「蒼空高く翔けらんと」(昭和2年)

・「時潮の波の」(昭和21年)

・「藻岩の緑」(明治44年)

・「時潮の流転」(昭和14年)

・「彷徨へる心のままに」(昭和24年)

・「天地の奥に」(昭和18年)

・「吾憧れし」(昭和33年)

・「花繚乱の」(昭和32年)

・「茫洋の海」(昭和35年)

・「手をとりて美しき国を」(昭和28年)

・「水産放浪歌」

・「春雨に濡るる」(大正12年)

・「嗚呼茫々の」(楡陵謳春賦つき)(昭和11年)

・「タンネの氷柱」(昭和8年)

・「津軽の滄海の」(昭和13年)

・「湖に星の散るなり」(昭和16年)

・「魔神の呪」(大正6年)

・「我楡陵に ー行秋哀歌―」(平成2年)

・「快速エアポート」(平成24年)

・「寒気身を刺す」(昭和42年)

ここに並んだ寮歌を見て何を感じられであろうか。いろいろな思いがよぎると思われるがそれは皆様各人にお任せすることにしたい。最後に、参加された皆様、このページを読んでくださった皆様、いろいろな面で協力いただいた皆様、すべての方々の御多幸をお祈り申し上げてこの稿を終える。

文責:北海道恵迪寮同窓会副幹事長 千原 治