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これまでの資料やプリントを整理していたら、『つきさっぷ郷土資料館』という名のリーフレットが出てきました。
Ⅰ.リーフレットによると、この資料館は以下のような歴史を経ています。
(1)先ず、昭和16年(1941年)に北部軍司令官官邸として建築されました。レンガ造りの2階建て洋館(現存している)で官邸裏に木造平屋の住まい(現存していない)が繋がっていました。官邸としての使用期間は4年間。
(2)戦後は占領軍に接収され、その後昭和24年(1949年)から昭和58年(1983年)まで北海道大学の月寒学寮として使用されていました。その使用期間は34年間。その後この建物は国から札幌市に譲渡されました。
(3)その後有志による月寒資料保存会の運動が、月寒地区町内会連合会に引き継がれ、昭和60年(1985年)から札幌市と協定を結んで「つきさっぷきょど資料館」として開館し、現在に至っています。開館以来、今年(令和4年(2022年))で、37年が経過しています。
Ⅱ.この目で学寮を確かめる。
(1)この建物は、学部寮として札幌市内に残る唯一のものであり、是非この目で見てみたいと思い立ちました。
(2)館内には、4つの展示室がありました。
第1号展示室は農耕・林業関係、第2号展示室は旧軍隊関係、第3号展示室は地券、小作契約書、証文などの古文書類、そして当時の教科書などが展示、第4号展示室はみの、いろり、風呂桶、ランプなどの民具・生活道具が展示されていました。
図書コーナーには、『北海道大学月寒学寮寮生・OB名簿』が保管されており、そこには昭和25年度の最初の入寮生から昭和55年度の最後の入寮生までの全員の名簿が記載されていました。なお、この名簿は、北大文書館にも寄贈されているとのことです。(追記;月寒学寮への最後の入寮生は、昭和57年でした。名簿上の最後の入寮生が昭和55年でした。)
(3)学部寮として使用されていた時は、現存する洋館(ベッド)と既に無くなっている和館(畳敷き)の両方を使用していたようです。部屋替えもあり、寮生は和洋の両方の部屋住まいを経験していたようです。定員は22名とか。炊夫・婦さんもいました。
Ⅲ.見学して思ったこと
この建物は、今年で築81年経過しますが、そのうち月寒学寮学寮として34年使用されています。その割には、月寒学寮の匂いがほとんど感じられません。秋元館長と湊副館長の二人にお会いしましたが、湊副館長は月寒学寮のコーナーを設けることに前向きでした。そのことについて、本学寮最後の入寮生と思われる竹下忠彦さんにも電話でお伝えさせていただきました。
Ⅳ.最後に
月寒は、①明治4年(1871年)、岩手県人44戸144名が入植し、開拓使が月寒(つきさっぷ)村と命名しました。②明治35年(1902年)、豊平、月寒、平岸の3村が合併し豊平村となりました。③その後昭和36年(1961年)豊平町が札幌市に合併され今日に至っています。思えば、北大も岩手県人が開学当初から学生として入学してきております。月寒村とは無縁ではないように思います。

「つきさっぷ郷土資料館」の正面入り口

さっぽろ・ふるさと文化百選

北部軍司令官官邸として建築された洋館

洋館の平面図

北海道大学月寒学寮寮生・OB名簿
《投稿者》八重樫幸一(S41年恵迪寮入寮、恵迪寮同窓会相談役・広報委員会顧問。月寒学寮には入寮していません。)
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■西日本恵迪寮同窓会より
恵迪寮同窓会では数年前から「縦糸を太く・横糸を紡ぐ」を掲げ、特に縦糸活動では「寮歌前線北上計画」を展開し地区恵迪会の結成と活性化を進めてきました。西日本としては、沖縄・九州南・九州北・中国・四国・兵阪和(兵庫/大阪/和歌山)・古都(京都/奈良/滋賀)・北陸・東海の9地区で寮歌祭を企画しました。この中で「四国地区」だけが開催できていませんでした。そのような中、西日本の吉田務常任理事から「愛媛エルム会と応援団OBの有志で交流会が開催できることになった」とのお話がありました。交流会の報告書をいただきましたが、寮歌を10数曲も歌い、最後にエール交換し交流会は盛会裏に締めくくることができた。愛媛エルム会の参加者には3名の恵迪寮OBがおられたとのことでした。今後とも親交を深め、懸案であった「四国地区寮歌祭」の開催につながればと思います。交流会の報告を恵迪寮同窓会ホームページに掲載いただければ幸いです。
<西日本恵迪寮同窓会会長 植松高志(S44入寮)>
「愛媛エルム会 と 応援団OB有志 との交流会」 の報告
標題の件、2022年5月30日、愛媛県松山市で初めて開催されました。メンバーは愛媛エルム会9名と応援団OB有志4名の合計13名でした。愛媛エルム会と応援団OBは、全員初対面ながら多いに盛り上がり4時間弱に及ぶ盛大な交流会となりました。
1. 愛媛エルム会 (9名)
・会 長:松浦侃(S45農卒) 恵迪寮生
・幹事長:渡辺誠也(H10理卒) 恵迪寮生(第267期執行委員会)
・伊賀尚志(S40工卒)
・鈴木 聡(S55水産卒)
・濱田和雄(S61理卒) 恵迪寮生 S59年寮歌「雪の白さに」作歌者
・遠藤正敬(H9経済卒)
・加我友寛(H27医卒)
・西川明里(H27医卒)
・岡野真大(H30医卒)
2. 応援団OB有志 (4名)
・千川浩治(S40入寮) 獣医/57代応援団(恵迪寮同窓会理事)
・吉田 務(S41入学) 工 /58代応援団(恵迪寮同総会代議員)
・大谷文昭(S43入学) 水産/60代応援団(北海道恵迪寮同窓会常任幹事)
・熊崎壽勝(S43入学) 水産/60代応援団

3. 愛媛エルム会と応援団OB(大谷文昭氏)との繋がり
愛媛エルム会が150名を超す会となり、北大校章入りの会旗を作りたいと、コロナ禍前に渡辺幹事長から知己の応援団(長谷川健:87代応援団長)に支援の連絡があり、当時、応援団百年記念事業で「団旗作成担当」をしていた60代大谷文昭氏に連絡が入り、メールのやり取りが始まりました。
愛媛エルム会旗は写真に見られる様に3畳大の立派なものが完成し、同時に上記の応援団OB4名が、四国旅行を計画しており、可能なら愛媛県松山市で交流会をとの話で盛り上がりました。
但し、計画を進めた矢先にコロナ禍となり、今回計画から3年目でやっと開催にこぎつけました。

4. 交流会の状況
西日本恵迪寮同窓会でもコロナ禍前から各地区寮歌祭を盛り上げるべく活動を進めていましたが、四国全体でも地区寮歌祭は開催出来ておりませんでした。
そこで今回、愛媛初のミニ寮歌祭をとの希望もありましたが、初めての交流会であり、寮生の数も少ない事から先ずは自然な交流会とし、様子をみて『地区寮歌祭』の開催をお願いする事としました。
大谷文昭氏が、本部より借用した「都ぞ弥生」と「永遠の幸」の大垂れ幕や、各種DVD・CD・恵迪寮写真集のほか、応援団百年記念誌・ヤマゲンさん随想録等々恵迪寮はじめ、各種北大グッズや、きのとやの「札幌農学校」等々を寄贈して臨みました。
初めに応援団OB有志の自己紹介から始まり、愛媛エルム会のメンバーもそれぞれの自己紹介をして交流会が始まりました。結果、大いに盛り上がり、貸し切り会場でもあった事もあり、当初予定の2時間から4時間弱に及ぶ大交流会となりました。
寮歌は、愛媛エルム会の恵迪寮生が3名と少ない事もありましたが、参加者最年長の伊賀尚志氏(S40工卒)の強い要望で「昭和13年 津軽の滄海の」を皮切りに、草は萌え出で、タンネの氷柱、黒潮鳴れる、水産放浪歌、「あぁ百年の応援団」、濱田和雄氏作歌の「S59年寮歌 雪の白さに」、先に今治に帰る濱田和雄氏のために「別離の歌」等々10曲ほどが絶え間なく続きました。
最後は、全員で肩を組み『都ぞ弥生』の大合唱、更に「フレーフレー北大」と「フレーフレー愛媛」で締めくくりました。
会の途中では、四国では地区寮歌祭が未だ開催されていない事、今後地区寮歌祭の開催も検討して頂きたい事もお伝えしました。
最後に、全員で記念撮影をして名残を惜しんでの解散となりました。
<吉田 務 記>
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金沢大学で、男子寮の「泉学寮」(定員168人)と女子寮の「白梅寮」(定員140人)の2つの学生寮が廃寮の危機にあります。
白梅寮は1964年、泉学寮は翌65年の完成で、ともに築50年以上が経っています。老朽化が深刻な状況にあるということです。
金沢大学 2つの学生寮が廃寮の危機pdf
《投稿者》八重樫幸一(S41入寮)恵迪寮同窓会 相談役及び広報委員会顧問
以上
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■北海道大学は、札幌農学校開校(1876年9月)を創基として、2026年に150周年を迎えます。
《以下、「北海道大学150年史編集室」よりのお知らせです。》
創基150年に向けて、「北海道大学150年史」の編集が開始されています。
大学の歴史を編んでいくにあたり、同窓生・元教職員・ご家族・関係者の皆さまのノート・書類・写真といった品々が、とても貴重な資料となります。
もし皆さまのお手元や周りに資料や情報がございましたら、ぜひお知らせください。
お知らせは、以上で終わりです。
■<お問い合わせ>
電話:011-706-2395
メール:hu150(a)archives.hokudai.ac.jp
※送信の際は、(a)をアットマークにお直しください。
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編集室の紹介
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新着資料の紹介
《発信者》八重樫幸一(S41入寮 恵迪寮同窓会相談役及び広報委員会顧問)
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私は、恵迪寮同窓会の相談役及び広報委員会顧問をしている八重樫幸一(S41入寮)です。
この役職の前には、恵迪寮同窓会の広報委員長をしておりました。広報委員長時代に、恵迪寮同窓会のFacebookページを立ち上げ、多くの友達を募り、その方々をメンバーとして交友を図ってまいりました。
私のFacebookを見ると、かなりのメンバーの方々は、それぞれ転勤や転居により、住所や電話番号が変更していると思われます。そうなると、当初届いていた郵便物が届かなくなり、恵迪寮同窓会事務局に戻ってくるケースが多くなってしまいます。
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是非、ご理解ご協力のほどよろしくお願いいたします。
《投稿者》八重樫 幸一(S41入寮、恵迪寮同窓会相談役及び広報委員会顧問)