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平成28年 第17回開識社講演会、講師に小菅正夫氏をお招きし盛会裏に終わる

[事務局からのお知らせ] [北海道支部]

平成28年の恵迪寮同窓会北海道支部主催の開識社講演会が10月26日(水)夕方、北大獣医学部卒の旭川市旭山動物園前園長の小菅正夫氏を講師に迎え、札幌市時計台ホールで開かれました。

冷たい雨が降り、また札幌ドームで日本シリーズが行われている中、参加者の減少を懸念していましたが、それらの影響もなく、当初予定どおりの109名の参加者がありました。

柔道部の現役部員も6名ほど参加してくれました。また柔道部OBの方も何名か参加されていました。

小菅氏のユーモラスな話しぶりに、時々会場から笑い声が出るなどお話しは大変面白く、また小菅氏の改革能力に驚かされました。

その能力の高さで、当時の北大柔道部と旭山動物園の再生を成し遂げたことも理解できました。 今、札幌の円山動物園の改革に取り組んでいるとのことです。像やザリガニのお話もされていました。今から、円山動物園の変身ぶりが楽しみです。

 

講演開始前の舞台の様子

講演開始前の舞台の様子

 

主催者として挨拶をする恵迪寮同窓会北海道支部長・内藤春彦氏

主催者として挨拶をする恵迪寮同窓会北海道支部長・内藤春彦氏

司会者の千川浩治北海道支部副支部長

司会者の千川浩治北海道支部副支部長

講師の旭川市旭山動物園前園長の小菅正夫氏

講師の旭川市旭山動物園前園長の小菅正夫氏

後輩になる現役柔道部員を小菅氏が会場の参加者に紹介した

後輩になる現役柔道部員を小菅氏が会場の参加者に紹介した

話に熱を帯びてきました

話に熱を帯びてきました

 

熱心に講師のお話しに耳を傾ける参加者の皆さま

熱心に講師のお話しに耳を傾ける参加者の皆さま

 

≪講演の概要は、おおよそ以下のようなものであったかと思います…長文につき読むかどうかは皆さまにお任せいたします≫

振り返ると、主将になったころの北大柔道部の状況と、入園者数の減少にあえいでいたころの旭山動物園が置かれた状況が、とても似ていた。そういう中で、柔道で学んだことを動物園運営に活かすことができた。

(1)北大柔道部について

当時、北大柔道部には特別強い選手がいるわけではなく、七帝戦(七帝柔道)では、1年生のときに1回勝っただけで、その後5連敗を喫し、最下位が定着しつつあった。 そんな最悪のときに、部の中で強い方ではなかったが、大学3年の夏、なぜか先輩から主将を任命された。

改めてメンバーを見渡したところ、飛び抜けて強いスター選手はいなかったが、個性のある部員が多かった。 まず、個性派ぞろいの部員をどうまとめるかである。北大柔道部は伝統的に学生主体であり、確固とした自分の意見をもっている部員が多かった。 放っておくと、自己主張だけは人一倍強いから、チームがまとまりをなくしてしまう。 かといって、「オレについてこい」とやろうとすると、個性を殺してしまうし、へそを曲げてしまうのは目に見えていた。

そこで目標を決めたのである。はっきりさせたのは、「七帝戦で優勝する」という目標。 そして、そのための手段も明確にした。 一人ひとりが負けなければよい。29秒寝技で抑え込まれても、29秒で何とか解く。絞めは、絞められても落ちない。そのためには寝技を徹底的に稽古するということだ。

七帝戦は七帝ルールという戦前の高専柔道のルールを踏襲した寝技への引き込みが許され、寝技での膠着の「待て」がない、そして15人戦の抜き勝負(勝ったものが勝ち残り、次の人間と戦っていく方式)という特殊な柔道である。だから寝技の強化が最優先課題としたのである。

もう一つ注文を出したのは、「最上級生は必ず同期と稽古する」ということである。 後輩は先輩と稽古すれば確かに強くなる。しかし、それでは先輩は上達しない。 同期で死ぬほど稽古した。同期2人が乱取りを始めたのだが、片方が本気を出して、腕を思いっきり極めた。骨折こそしなかったがボキッと大きな音が鳴った。それをきっかけに闘争心に火がついたのだろう。「貴様!」と言って、信じられないぐらい激しい稽古を数本続いた。そういう死に物狂いの稽古を誰かがやっていると、道場全体が締まる。 下級生もより強い人と稽古しなさい、と。

ある選手はレギュラーになれるかどうかのボーダーラインにいた。その選手をレギュラーにすることを目標の一つにした。必死で稽古に取り組んだ。結果として、レギュラーになれなかったが、その人の稽古振りが部員全員の目に焼き付けられた。彼は顎を外されながらも歯を食いしばって道場に来た。柔道部改革の中で、彼が一番のキーマンだったと思っている。団体戦を戦うチームにとって、そういう部員の存在が大切だと考えている。レギュラーになれなかった控えの部員たちが、イキイキしているか否かがそのチームを判断する重要なバロメーターである。

不要な選手は一人としていない。必ず個性が活かされる場所がある。そうした雰囲気が部内に定着し始めたとき、チームは「優勝」という目標に向かって動き始めたのである。

一年間、懸命に稽古した結果「国立7大学柔道優勝大会」では決勝戦に進出。惜しくも京都大学に大将決戦で敗れたが、準優勝という結果を残せた。

(2)旭山動物園について

人はそれぞれの個性が活かせて、それぞれの役割を果たすときイキイキするのである。 そういう確信が、旭山動物園の「行動展示」につながっていった。

係長になった時(1986年(昭和61年))、「ジェットコースターをやってもだめで、そろそろ市役所も動物園を止めようと思っている」という声が聞こえてきた。どうやらこのまま閉園になるだろう、という噂まで出ている。

① 部 長とのやり取り

そんなとき、本庁の偉い人が動物園に話に来た。そのとき、「君たちはこの動物園の将来をどうしようと思っているんだ」と聞かれ、「しっかりやっていきますよ」と答えた。そうしたら、「しっかりやっていくって言ったって、お客が入らないんだから、話にならないだろう。他のところはチンパンジーのショーをやっているし、仮面ライダーショーもある」と目先のことばかり言う。「そんなことは絶対にやらない。俺にはやりたいことがある」って、啖呵(たんか)を切った。そうしたら、「小菅君を中心にやればいいじゃないか。君が計画を立ててまとめてみたらどうだい」と園長を飛び越して決めてしまった。そこで、こっちも「わかりました」と言って、当時10人しかいない飼育係を呼び集めて勉強会を始めた。

そこでは、

■動物園は、動物の自由を奪って閉じ込めて、人の見世物にしている動物虐待施設ではないか。

■動物園に行っても、みんな寝てばっかりという声がある。 などの問題点が出てきた。 要するに、今の動物園はどうしてダメなのかということさえきちんとわかれば、それを取り除いていけば絶対良くなる。そして次に「打つ手」を決められる。

まずは、自分たちでできる範囲内でやれることをやる。そのときに、チームで意識を共有しなくちゃいけない。 「いいか、確認するよ。みんなでやるんだぜ。10年、絶対やりぬくよ」って。

■「やれること」の最初に決めたのは、動物舎の前での「飼育係によるワンポイントガイド」だった。

■機関紙「モユク・カムイ(アイヌ語でエゾタヌキ)」を創刊。

■動物園は有料入場者を入れるレクレーション施設でもある。動物は見せるが、見せることによって動物に影響を与えてしまうようなことは、絶対にしない。すべては動物の意思で行われる。冬のペンギンも扉をあけるだけ。散歩に行くかどうかはペンギンが決める。アザラシが円柱を通るのも同じ。動物はやりたいことをやるときが一番輝く。「買い物をするチンパンジー」や、「立ち上がるレッサ―パンダ」はやらない。野生のレッサーパンダは普遍的に何十秒も直立したり、立って歩いたりはしない。

②市長との面談

旭川市になぜ動物園が必要か時間をとっていただいて説明した。

③1996年(平成8年)初めて予算がつく。「こども牧場」を作る。ウサギやヤギ

④翌年1997年(平成9年)予算つく。「ととりの村」(野鳥)をつくる。

要は、動物本来の習性や能力を引き出すことが大事なのである。