多磨霊園に眠る母校の先生(その1;今村成和)
[事務局からのお知らせ]
■新渡戸稲造のお墓が、東京多磨霊園にあることを知り、かねてから一度訪ねてみたいと考えておりました。
ネットで、調べてみると多磨霊園には内村鑑三、有島武郎(青山墓地より改葬)のお墓があり、さらに北大卒ではないが今村成和先生のお墓があることも分かりました。
前の3名については説明する必要はないと思います。
今村先生は以下でもご説明しますが、北大法文学部創生期の教授として北大における法学研究、教育の礎を築かれた功労者であり、日本の行政法学、経済法学、憲法学に巨大な足跡を残され、それらの分野での第一人者でありました。
また、1975(S50)年5月から、1981(S56)4月までの6年間にわたり第11代北海道大学学長を務められ、北大の発展に寄与されました。
そんなことから、前の3名と同様にご紹介させていただきます。
(恵迪寮同窓会広報常任幹事・八重樫幸一)
埋葬場所:多磨霊園 5区 2種 8側
墓石は和型「今村家之墓」。右側に墓誌があり、戒名はなく俗名と没年月
日、行年のみ。妻はミチ。
【今村成和(いまむら しげかず)】
1913.7.20(大正2)~1996.10.13(平成8)。享年83歳
韓国京城(後のソウル)出身。父は朝鮮総督府の高級官僚で樺太庁長官や仙台市長を務めた今村武志・千枝子(共に同墓)の子。母方の伯父は民藝運動を起こした思想家・宗教哲学者の柳宗悦。
京城師範学校付属の小学校と中学校を卒業した後、本土に戻り第二高等学校を経て、1937(S15)東京帝国大学法学部政治学科卒業。
1937年4月三菱商事株式会社に入社し総務部文書課法規係に配属。
1947(S22)公正取引委員会事務局事務嘱託を皮切りに、調査部第一課勤務、
1948(S23)調査部事業者団体課長、1949(S24)調査部調査第一課長を歴任。
1950(S25)北海道大学法文学部および法経学部講師、兼務で文部省内地調査員も務めた。
1952(S27)北海道大学法経学部教授となる。
1955(S30).8~1961(S36).3北海道大学評議員、
1959(S34).4~1961(S36).3北海道大学法学部長、
1960(S35)司法試験考査委員、
1961(S36)「国家補償法」により法学博士。
「行政法」の研究を主として、国家補償という概念を提案した人物として著名。
1966(S41)日本公法学会理事、
1965(S40).10~1971(S46).9北海道大学附属図書館長をつとめ、
1975(S50).5~1981(S56).4第11代北海道大学学長に就任した。
1981(S56)停年退職し北海道大学名誉教授。
その後は
1981(S56)北海学園大学法学部教授に転身。
この間、
1979(S54)~1987(S62)経済法学会理事長、
1980(S55)~1983(S58)初代日本土地法学会会長。
1985(S60)勲一等瑞宝章受章。
1991(H3)~1993(H5)初代国際経済法学会会長、
1992(H4)日本学士院会員、
同年北海道ポーランド文化協会会長を務めた。
1993(H5)北海学園大学を退職して名誉教授。
主な著書に、
1957(S32)『国家補償法』
1978(S53)『独占禁止法』
1993(H5)『独占禁止法入門』
1994(H6)『人権論考』
1995(H7)『行政法入門』などがある。
脳梗塞で倒れ入院中、「法律系図書が不足しがちなので、私の蔵書は全て北海学園大学付属図書館に寄贈してもらいたい」と遺言したとされる。
没後、北海学園大学付属図書館に「今村文庫」が配架された。
札幌市内の病院で肺炎のため逝去。享年83歳。
<門下生>
・小樽商科大学名誉教授(元学長)の法学者秋山義昭
・早稲田大学法科大学院教授の法学者畠山武道
<北海道人物・人材情報リスト>
<北海道建設人物事典など>
※本記事の大半は、インターネット「歴史が眠る多磨霊園」に依拠した。
<写真の絵解き>