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25年度大ジャンプ大会、猛吹雪の中開催!!
[サロン] [北海道支部からのお知らせ]
永遠の幸で始まる開会式。
なぜだか近頃やたらと長~く歌うのが流行っている。
前半戦は個人の部。
個人の部終了。
猛吹雪で寒さも厳しいため総員いったん寮内へ退避。
この後部屋芸の部へと進んだハズですが時間切れで退散しました。
現寮委員会/都野
2025(令和7)年東日本恵迪寮同窓会「新春寮歌歌い初め」・報告
[事務局からのお知らせ] [東日本支部] [東日本支部からのお知らせ]
2025(令和7)年1月24日
東日本恵迪寮同窓会 幹事長 竹下忠彦
「大学入学共通テスト」2日目の1月19日(日)午後、共通テスト会場で緊張感漂う東京大学に近い本郷「鳳明館」にて「新春寮歌歌い初め」を開催しました。
会場は、昨年に引き続き「鳳明館」森川別館の春日呉竹の間(22畳間)を借りました。
坂倉会長の新年の挨拶のあと、好きな寮歌を参加者が次々と歌っていく形式で進行。歌う前に自己紹介あり、持論の披露あり、恵迪寮らしい脱線多々有り。それを進行役の(S48)松岡繁幸氏が、うまく捌き、2時間余りの楽しい歌い初めの会は、あっという間でした。最後は「都ぞ弥生」の斉唱と(S46)木村成二氏のエールで締めました。
参加者中の最年長は、小泉 守氏(S28入寮、水産学部)。御年92歳。千葉県は佐倉からのご参加。佐倉の早咲きサクラを持参され、サクラを愛でながらの歌い初めとなりました。小泉氏は歌にトークにと大活躍。92歳とは思えない強烈な存在感を示されていました。また全員にお土産として佐倉の銀杏をいただきました。小泉さんいつまでもお元気でお過ごしください!
「鳳明館」女将の話では、今年の秋以降に建物のリノベーションが始まるそうで、それが終了したとき、現在のようにデイ・ユースができるかどうか未知数だとのことです。
【参加者】
小泉 守(S28)、常野勝彦(S38)、佐藤八雷(S39)森 輝男(S39)、
長谷川和雄(S42)、猪股哲美(S43)、本田 彰(S43)、坂倉雅夫(S44)
柳田 亘(S44)、木村成二(S46)、松岡繁幸(S48)、若目田 篤(S51)
朝倉仁樹(S52)、竹下忠彦(S53)、佐藤誠一(S54)、岩佐慎二(S56)
足助健志(H1)、多田式江(会友)、坂下節子(会友) 19名 以上
令和7年「新春寮歌歌い初め」
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令 和 7 年 「新 春 寮 歌 歌 い 初 め」
『 あらたまの 年の若水 くむ今朝は
そぞろにものの 嬉しかりけり 』
樋口 一葉
「新春寮歌歌い初め」開催のご案内です。会場は、昨年に引き続き有名な文豪たちが愛した街 東京・本郷に位置する登録有形文化財の和風旅館『鳳明館』での開催を予定しております。東日本恵迪寮同窓会の歌い初めに参加しましょう! 寮友達よ、新しき年を寿ぎ、去りては再び還らざる若き日の感激を謳おうではありませんか!
2024年(令和6年)12月吉日
東日本恵迪寮同窓会 会長 坂倉 雅夫(昭和44年入寮)
【ご 案 内】
■ 日時 :2025年(令和7年)1月19日(日)
13時00分開始(約2時間半)
■ 場所 :『旅館 鳳明館 森川別館』
住 所 〒113-0033東京都文京区本郷6-23-5
電 話 03-3811-8171(当日のみ)
*問い合わせの電話は:幹事長携帯電話にお願いします。
『鳳明館』はリニューアルのためしばらく休館になります。
このチャンスに由緒ある『鳳明館』にぜひお越しを。
■会費 :1,500円 酒・乾き物の差し入れを歓迎します。
生もの、家庭料理の差し入れはご遠慮ください。
■申込 :1月10日(金)までに必ず幹事長(竹下)へ
返信メールまたは電話(以下記載)でお願いします。
■注意 :感染防止策をとりながらの開催になります。各自体調管理をよろしくお願いします。
■申し込み先: akadake2016@gmail.com (竹下忠彦):メールの場合
090-8100-1038(竹下携帯):電話の場合
■問い合せ先: akadake2016@gmail.com( 同上 )
090-8100-1038( 同上 )

『旅館 鳳明館 森川別館』 〒113-0033東京都文京区本郷6-23-5
推奨経路=東京メトロ丸ノ内線「本郷3丁目」駅下車、本郷通りを北上。
東大正門を過ぎペガサスマンションを左折 徒歩10分程度
または、都営地下鉄三田線「春日駅」下車 徒歩10分程度
2024年東日本恵迪寮同窓会寮歌祭報告
[事務局からのお知らせ] [東日本支部] [東日本支部からのお知らせ]
2024年東日本恵迪寮同窓会・寮歌祭in池袋を2024年11月2日(土)に以下の通り実施しました。
1.会場
今回会場は、緑丘会館=小樽商科大学の同窓会の会館を利用させていただきました。
場所はJR池袋駅から徒歩8分の「サンシャイン60」内の57階にあります。交通至便の地にあり、しかも高層にあるため窓から大東京の眺望が抜群、また秀麗富士も大きく見えます。
2.参加者
参加者は以下の通りです。友誼校・小樽商科大学から6名の参加がありました。
( )は入寮年度
北大関係(敬称 略)
多賀春雄(30)長谷川久(32)三戸猛義(36)常野勝彦(38)長谷川和雄(42)
本田彰(43)猪股哲美(43)三次 哲(43)坂倉雅夫(44)木村成二(46)
矢野哲憲(47)松岡繁幸(48)若目田篤(51)小林次郎(51)朝倉仁樹(52)
岡地勇治(52)伊藤 紳(52)、船津 明(52)岩田 昇(53)竹下忠彦(53)
佐藤誠一(54)橋本浩典(54)福嶋 敏(56)宇治弘晃(56)島倉朝雄(57)
田辺暢浩(58)東 剛己(H2)松岡渉(H16)松尾駿介(H19)小松遼貴(H23)
山崎夏生(会友・桑園寮)、坂下節子(会友)若目田誠子(会友)若目田翔子(会友)
34名
小樽商大関係(敬称 略)
安藤 寛(44)小田原時宣(44)村岡眞史(44)
池田喜久雄(47)松井栄助(53)海野 格(54)
6名
3.プログラム
<第一部> 開識社(12:00~13:00)
講 師 : 山崎 夏生 氏(桑園寮・S54北大文学部国文科卒)元プロ野球審判
演 題 : 『 野球でこぼこ道 』
講演要旨 : 無理・無茶・無謀の連続の審判人生でした。語る舞台は野球ですが、話のテーマは「仕事」です。凡人がひたむきに頑張ることの尊さ、それを支える家族や仲間への感謝、努力は必ずや報われるという楽観主義、野球はそれらを私に教えてくれました。
そもそもの「野球でこぼこ道」の始まりは15歳の頃。そこそこに野球の上手い子でしたが、高校では甲子園などはるかかなたの夢。東京六大学での活躍を夢見るが学力も野球力も足らずに受験浪人。進路変更し、ようやく入れた大学では得意のはずだった野球でずっと補欠。プ野球選手を諦めスポーツ新聞社に入ったものの、ここでも野球記者になれずに営業マン。
でも軌道修正しながら能力と希望の折り合いをつけ、何とか大好きな野球で飯を食うことができました。今でも生まれ変わったらまたプロ野球審判になりたいと願っています。これは本音ですが、自分の適性や才覚、家族の幸せを考えれば決してベストではなかったのかも…。そんな勘違いの人生だけれど、楽しいものでした。
人生、思い通りにいかないのは当たり前のこと。だから面白いし、頑張れる。第一志望ばかりがまかり通る真っ直ぐな舗装路は疲れます。何があろうともハッピーエンドにしてしまうバイタリティーは、若い頃にこんな「でこぼこ道」をゆっくりと歩きながら培うものです。私の座右の銘は「人事を尽くして天命を変える」。そのパワーの源は汗と涙、さて皆様はどれだけ流せましたか?一つでも心に響く言葉があれば幸甚です。
最後に皆さんへ、平和を願うメッセージを送ります。これは2年前の夏、富良野演劇工房(主宰・倉本聰)での朗読劇に出演した時のもので、オリジナル脚本で臨みました。今も世界各地で戦争が絶えず、まずは若き戦士、そして罪なき幼子や母親たちの命が奪われています。その戦争の仕掛人は最後まで安全地帯に佇み、己の正義を説くばかり。こんな理不尽なことがあってよいのか。終戦時、父はシベリアへ抑留され、母は満州からの帰国の道中で生まれたばかりの長男を餓死させてしまいました。その悲しみは生涯、消えることが無かったでしょう。とにかく戦後に生まれた我が子たちは大きく丈夫に育ってほしい、それが生き甲斐となったのです。題して『腹いっぱい』、気持ちを込めて語ります。
<第二部> 総会・寮歌祭(13:20~15:50)
★第二部は「都ぞ弥生」1番斉唱 →物故者への黙祷→開会挨拶(坂倉東日本恵迪寮同窓会会長)→ 挨拶(池田喜久雄小樽商科大学後援会事務局長)
・総会:「2023年度事業報告・収支決算報告・会計監査報告」「2024年度事業計画(案)・収支予算(案)」「2024年度役員体制」の審議・決議(議長:坂倉東日本会長)
→いずれも承認されました。
★東日本恵迪寮同窓会寮歌祭
校歌「永遠の幸」 発声者:松岡 渉 君(H16入寮)
第一部 進行役:松岡繁幸 君(S48入寮)
蒼空高く翔けらむと(S2) 発声者:三次 哲 君(S43入寮)
寒気身を刺す(S42) 発声者:伊藤 紳 君(S52入寮)
凋落正に秋深し(S38) 発声者:常野 勝彦君(S38入寮)
春来にけらし(S18) 発声者:多賀 春雄君(S30入寮)
小樽商科大学校歌 発声者:海野 格 君(小樽商科大学OB)
水産放浪歌 発声者:小林 次郎君(S51入寮)
第二部 進行役:松尾 駿介 君(H19入寮)
北斗寮歌 発声者:松井 栄助君(小樽商科大学OB)
若人逍遥の歌 発声者:池田 喜久雄君(小樽商科大学OB)
タンネの氷柱(S08) 発声者:三戸 猛義君(S36入寮)
若人よ(H12) 発声者:小松 遼貴君(H23入寮)
うす紅の(S54) 発声者:東 剛己 君(H2入寮)
湖に星の散るなり(S16) 発声者:岩田 昇 君(S54入寮)
一帯ゆるき(M40) 発声者:島倉 朝雄君(S57入寮)
都ぞ弥生(M45) 発声者:本田 彰 君(S43入寮)
別離の歌(S06閉寮記念寮歌) 発声者:坂倉 雅夫君(S44入寮)
4.むすび
昨年度、恵迪寮同窓会本部(札幌)の紹介で小樽商科大学同窓会の緑丘会館の事務局長の池田喜久雄様と連絡を取ることができ、今回初めて私たち東日本恵迪寮同窓会は緑丘会館を会場に使わせていただくことになりました。
最初に書きましたが、緑丘会館は交通至便の地池袋にあり、また高層階に構えることから眺望抜群です。食事の準備を含め緑丘会館さんが会場セットしてくださいます。伺うところによれば、サンシャイン60が開業(小樽商大の或るOBの方がサンシャイン60の社長であった)した1978年から緑丘会館は存在しているとのこと。今まで緑丘会館の存在を知らなかったことが悔やまれます。
今年こそは参加者を50名集めたいと考えて準備しましたが、まだまだコロナ禍の残照が残る今日この頃、私たちの宣伝効果が今一つだったこともあり、参加者は34名(友誼校小樽商大の参加も含めると40名)でした。
会場をゆったり目に使えること、一人一人と会話がしやすい点がこの規模での寮歌祭の良い点です。また友誼校・小樽商大関係者の参加を得、「若人逍遥の歌」などを一緒に歌えたこと、嬉しく感じます。
《コロナ初期》から4年半が経過し、《寮歌を大きな声で歌うことに躊躇なしの日常》が戻ってきました。「まだまだ少ない。もっとたくさん集めよう!」の声を参加者から聞きました。確かにごもっとも。次はもっと多くの参加者があることを期待します。
以上 PDFでもご覧になれます。(完成版写真入り)11.2東日本惠迪寮同窓会寮歌祭報告
第25回恵迪寮同窓会 開識社講演会について
[北海道支部からのお知らせ]
第25回恵迪寮同窓会 開識社講演会について
北海道恵迪寮同窓会
1 日 時 2024年11月12日(火)18:00~19:30
2 会 場 札幌時計台ホール 札幌市中央区北1条西2丁目
3 講 師 金田 正裕 氏 株式会社流通総合研究所 代表取締役
【略歴】
・1948年 北海道生まれ
・1971年 北海道大学水産学部卒業
・同年 (株)ダイエー入社後、商品統括本部(鮮魚部門)バイヤー、スーパーバイザー、Kマートプロジェクト室歴任
・1981年 退社
・同年 (株)フレッシュフード研究所を設立
・1989年 (株)流通総合研究所を設立し、現在に至る
【専門分野】
①食品分野のマーケティング、マーチャンダイジングの技術指導、調査研究
②酒MD改革指導、生鮮食品を含むMD提案技術指導
③食品卸と食品メーカー、食品関連機器メーカーのリテールサポート指導事業
【実績】
①スーパーマーケット、百貨店、食品メーカー等延べ200社の指導実績(ダイエー、マルエツ、イトーヨーカ堂、イオン、コープ等)
②行政官庁の調査事業(農林水産省、水産庁、千葉県庁、盛岡市等)
③各種業界団体、研究所所属、海外関係にも精通し、著書多数 元漁業経学会会員
4 演題
「スーパーマーケットのお話」
5 申し込み
・参加される方は、10月27日(日)までに千原メール(chihara036@ybb.ne.jp)に、
「講演会参加」と明記して申し込んでください。
・なお、講演後に夕食会(5000円、「海へ 時計台前店」)を計画しています。こちらへの参加を希望される方は「夕食会参加」とお書きください。
令和6年11月12日(火)の「第25回開識社講演会」の講演の主旨について
1971年に北大を卒業して㈱ダイエーに入社が決まったので、上京しました。でも終戦を経て有店舗時代に入ったとはいえ、下記の写真にあるようにまだまだ「引き売り、振り売り、対面販売」等は続いていました。
日経新聞等では勇ましく「流通革命」という言葉が飛び交っていましたが、現場は「非科学的な属人主義、温度管理されてない生鮮食品、販売単位不明の一ザル売価、まな板から離れようとしない我儘でくわえたばこの職人等がまかり通っていました。
いつの頃からか「嘘の無い商売」という嘘のようなテクニカルターム(専門の技術用語)が業界に、私の職場であるダイエー商品本部にも生まれます。日本社会は豊かになり、所得が上がってきました。商品も、売場も、お店も、店長も、バイヤーも・・・もっと襟を正さなくてはならない。
どういう仕事をすべきなのかと、自問自答し始めました。そのような時「大木先生」に巡り合い、「GHQ」と経験された昔話をお聞きします。
戦中に早稲田で旗を振っていたので放校処分を受け、池袋で「金物」屋をやっていたそうです。毎日「大福帳」をつけていたのをGHQが聞きつけ、数台のジープでやってきました。それから製配販合同の委員会が立ち上り、初回の作品が「青色申告会」、次が「中小企業診断士制度」づくりだったとのことです。GHQは「憲法の押し付け」だけでは無かったのです。若い自分は「凄い!」なと思いました。私もそういう仕事をしたいと思い、ダイエーには内緒で休日に大木先生のカバン持ちを始めました。私が「流通・商業のコンサルタント」を始めたそもそものお話です。それから40年以上が経ちました。
流通・商業の近代化は、最も遅れて手が付いた最後の産業分野と言えます。そうして今、第二次産業革命の「脳化社会」が始まっています。今日は、皆さんと上記のような今までとこれからを考えてみたいと思います。
2024年8月2日、金田
【添付写真】
左の写真は「納豆の振り売り」屋さん、右の写真は「野菜の行商」さん
今の40代以降の若い方は、ご存じ無い風景のようです。
右の野菜販売の行商のお母さん方は、都内で私が乗車していた「旧国鉄」では毎日出会う風景でした。
でも・・・いつも間にか消えてしまいました。


















