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加藤忠一さんの自作絵画の公開について(第2弾)
[サロン]
【謹告】
恵迪寮同窓会広報委員長の八重樫幸一(S41)です。
この度、昭和36年入寮の加藤忠一さん(画家、相模原市在住)から、次のようなお話をいただきました。「恵迪寮時代の生活を絵にしたため、それを本として出版しました。ついては、それを何回かに分けて恵迪寮同窓会のFacebookページに公開していきたい」とのことです。
これも、広い意味での恵迪寮の文化的財産といえるだろうと思い、快く申し出をお受けすることといたしました。
※ホームページにも掲載します。
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【今回は、第2弾です。】
4部屋:
部屋では、ベッドと机が一人の空間。洗濯物や着る物は、ベッドの上に紐を通し、ぶら下げた。寒い北の街だが、スチームが通っていたので暖かかった。明け方スチームが通り始める時のカチン、カチンという音が懐かしい。
5落書き:
部屋には壁一面に落書きがあった。壁ばかりか天井にもあった。部屋の先住者、つまり先輩達が書き残したものである。落書きは、つぶやきから哲学的なものまで様々だったが、卑猥なものは皆無だった。寮生の誇りがあったのだろう。
6エッセン:
寮用語は、何故かドイツ語だった。だから食事はエッセン、おかずはネーベンだった。エッセンは食堂で採る。テーブルに4人揃ったら食事開始。当時鯨肉がよく出たので、寮生は「げいてき寮」と自虐気味に言っていた。
7ブキ:
寮生は皆ブキを持っていた。と言うと、如何にも物騒な話だが、ブキとはフォークである。エッセンの時、箸ではなくフォークを使ったのだ。一本で、切る、突く、掬うことができる便利なものだった。
8部屋割りサークル:
同好の士が5人集まれば、サークルとして一部屋貰えた。筆者は、ユーゲントコールに入った。近くの看護学校寮生と混成合唱をするサークルだったから、寮内では軟弱派だった。他には硬派として応援団、空手、柔道等があり、学生運動派のサークルもあった。
以上
加藤忠一さんの自作絵画の公開について(第1弾)
[サロン]
【謹告】
恵迪寮同窓会広報委員長の八重樫幸一(S41)です。
この度、昭和36年入寮の加藤忠一さん(画家、相模原市在住)から、次のようなお話をいただきました。「恵迪寮時代の生活を絵にしたため、それを本として出版しました。ついては、それを何回かに分けて恵迪寮同窓会のFacebookページに公開していきたい」とのことです。
これも、広い意味での恵迪寮の文化的財産といえるだろうと思い、快く申し出をお受けすることといたしました。
なお、加藤さんはお酒もこよなく愛されているようで、東京都内にある多くの居酒屋の絵もほのぼのとお描きになっています。
(追)折角の機会でもあり、ホームページ(サロン)にも掲載させていただきます。
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0表紙:
『絵で見る青春の恵迪生活―昭和三六~三八年の北大・恵迪寮―』のご紹介
上記の本を、昨年アマゾンkindleで出版しました(定価100円)。
電子ブックに不慣れな方もおられるかと思い、許されれば本の内容を同窓会のFacebookページで公開させて頂こうと思います(文章は簡略化)。
00冬の恵迪寮玄関:
当時の教養部の教室(クラーク会館の近く)は寮からかなり遠かった。冬には雪が積もり、寒いので、授業に出るのは大変だったが、寮の外観は趣が出た。
1恵迪寮とは:
「恵迪」とは、書經にある「迪に恵えば吉し(みちにしたがえばよし)」から取ったものである。この言葉を、寮の一期生佐藤昌介(後の総長)が揮毫した額が、食堂に懸っていた。
2寮の構造:
寮は2階建て、4棟構成だった。寮生が5人ずつ居住した部屋が60あった。部屋には洗面台はあったが、トイレはなく共用だった。部屋割りは半期毎に変更された。
3入寮詮衡会:
寮の運営は自治会に任されていたので、入寮詮衡も自治会が行った。詮衡基準は経済的困窮度が第一だが、その他は明らかにはされていなかった。筆者は、先輩牟田悌三(昭和20年入寮、俳優)が寮を訪問するテレビを見て、寮生活にあこがれるようになったことをアッピールした。
以上
平成30年9月23日現在の旧恵迪寮舎の状況
[サロン]
9月初旬の台風及び胆振東部地震による開拓の村の被災状況が報道されてくるにつれ、旧恵迪寮舎の状況が気になり、晴天も手伝い、開拓の村に確認に行ってきた。
ただし、わが目視による概況の把握であり、専門的な視点ではない。
(1)開拓の歴史村・食堂から旧恵迪寮舎へ向かう道路の右側の林(旧恵迪寮舎側)では、多くの樹木が強風により倒されている(写真①、②)。
(2)寮舎玄関へむかう食堂側の小道は倒木により閉鎖状態(写真③)。
(3)正面、玄関前の小道を風倒木の大きな根株を横目に通り、寮舎の雄姿をまず確認し安堵する(写真④、⑤、⑥)。
(4)寮舎への倒木の寄りかかり・影響はなし。寮舎中庭側のポプラは小枝を多少落とした程度で雄々しく聳ゆる。記念植樹・エルムも無事(写真⑦)。
(5)屋根の瓦も整然と列をなし輝き、落下、吹き飛びの形跡なし(写真⑧、⑨)。
寮舎を囲む林、特に道路側の林により強風を遮られ、幸い被災を受けなかったか。
寮舎の外周、基礎とも地震によるダメージは受けていない模様。
(6)寮舎内の構造も同様と見受けられる。
設備・備品も整然といつものとおり展示されている(写真⑩)。ただし、開拓の歴史村の方々がもとに戻してくれたのかは不明。
(7)ただ、内部の白壁には処々に新しい亀裂・ヒビが見受けられる(写真⑪、⑫)。胆振東部地震によるものかどうかは不明。
平成30年9月23日
恵迪寮同窓会文化常任委員会委員長 野本 健(S47)
荒木隆夫さん(S49入寮)の台湾からのメッセージです
[サロン]
(本投稿は、2018年8月29日に送信されてきたものです)
おはようございます。
S49入寮の荒木隆夫です。
毎年、会誌へ広告掲載させて戴いてます。(←ありがとうございます。同窓会の財政はタイトであり、助かっています。なお、今年の広告は平成30年発行の会誌「恵迪」第18号のP.141に掲載しています。このかっこ内は事務局が記載しました)
日本では
①株式会社 ウインズアーク:菓子製造業
②Akabeko:リゾートホテル
を経営してますが
台湾、中国では顧問先の指導をしてます。
台湾では、北大台湾同窓会で知り得た台湾人の恵迪OBと懐かしい思い出話で楽しんでます。
11月3日には、台北市内での明治大学OB会(日台人約80名が集まります)にオブザーバー参加し、寮歌を歌いたいと考えてます。
写真は、この夏8月19日(日)岩崎哲也君(S54入寮・応援団)、王士銘君(H10)、李玉璽君(H15)と台南市内で談笑したものです。
将来は、台湾製糖に貢献された新渡戸稲造先輩の記念館(高雄市内)がある台湾で寮歌祭を開催したいですね。
北大フロンティア基金からの「秋の特別キャンペーン」のお知らせ
[サロン]
《秋の特別キャンペーンのお知らせ(内容)》
キャンペーン中に寄附された方には、北大農場産のジャガイモ、お米、産学連携商品北大石鹸のいずれかがプレゼントされます。
寄附には、現在、恵迪寮同窓会が同窓生の皆さまにお願いしています「恵迪寮改修資金」もキャンペーンの対象に含まれます。
■期間 平成30年8月1日(水)~10月5日(金)
■対象 期間中20万円以上ご寄附いただいた個人の方
■プレゼント品 北大産「ジャガイモ」「お米」「石鹸」のいずれか一つ
■発送時期 平成30年12月予定
詳しくはキャンペーンチラシ(PDF)をご覧ください。
北大フロンティア基金「秋の特別キャンペーン」チラシ(PDF)
以上






















