年別アーカイブ: 2018
第7回開催~開拓の村展示企画実行委員会の進捗と計画(平成30年3月4日開催)
[事務局からのお知らせ]
平成30年3月17日付け同窓会役員会に付議済み
開拓の村展示企画実行委員会 佐野将義(H2)
開拓の村展示企画実行委員会では、北海道開拓の村で保存されている旧恵迪寮舎の展示について、リニューアルを検討しております。
3月4日に第7回目の展示企画実行委員会を開催し、博物館展示の専門家にも参加してもらい、アドバイスをいただきました。
現在の検討状況を報告します。
1.開拓の村旧恵迪寮舎の展示コンセプト
明治、大正、昭和期の保存再現にとどまらず、恵迪寮の精神、自治、教育的な役割、生活、文化などが現寮へどのように継承されているか、または、時代の中でどのように展開されてきたかを表現したい。
・1部屋目:寮の生活、食事(別添の平面図101号室)
・2部屋目:恵迪寮の精神、自治、教育的な役割(別添の平面図102号室)
・3部屋目:寮の文化、寮の行事(別添の平面図103号室)
2.専門家からのアドバイスを踏まえた今後の検討内容
・お客様のターゲットを3階層くらいに分けて設定し、ターゲットごとに展示する情報や演出を検討・整理する。
・費用を抑えるため、使えるパネルなどは、そのまま使う。
・音や映像による演出は専門業者に依頼するとお金がかかるが、工夫すればお金をかけずに効果的な演出もできる。
・展示物に近づいたり、触ったりすると、音(太鼓、寮歌、ストーム、寮生が出す大声など)、映像、照明などが出るようにすることで、お客様にインパクトを与えることができる。
・体験できるものがあると、お客様の思い出になる。
*インスタ映えする写真撮影スポット
*展示物に触ってもらう
*太鼓をたたいてもらう
*赤ふん体験 など → テーマは「入寮体験」
・開拓の村でWi-Fi環境を整備する計画があることから、スマートフォンやタブレットによる展示案内、多言語対応についても検討する。
3.今後のスケジュール
・2018年度上期:概略検討
劣化した写真の応急処置
全面リニューアルの概要を北海道博物館へ説明
北海道博物館、北海道開拓の村、同窓会による実行委員会の設置
・2018年度下期:詳細検討
募金活動(同窓会会員への募金依頼、掲示板名札、クラウドファンディング)
・2019年度 :リニューアル工事
・2020年4月 :リニューアルオープン
4.写真のデジタル化
・同窓会事務室に埋もれていた井口氏が収集した資料(写真約1200枚)と、委員会メンバーが撮りためた写真をデジタル化する。
・担当者:山本牧(S49)、石川隆雅(S51)、亀山敏(S55)
・デジタル化した写真の中から、劣化した写真14枚に代わる写真について、選定作業を行う。
5.同窓会ホームページ上からの写真の収集、保存・管理、公開について
・同窓会ホームページの改修内容について、ノーステクノロジーと調整中。
6.同窓会Tシャツ
・製作枚数:500枚 内訳 S:10枚、M:50枚、L:380枚、XL:50枚、XXL:5枚、XXXL:5枚
・製作費 :634,100円 1枚あたり 1,268円
・納品 :3月9日
・販売価格:2,000円
7.開拓の村旧恵迪寮舎を活用したイベント(予定)
・5月19日(土) 観桜観花会(同窓会のホームページに掲載済み)
・6月30日(土) 草刈り&昼食会 → 参加者に同窓会Tシャツを配布
7月17日「北海道みんなの日」と連動したイベントの検討
・8月25日(土) 外壁防腐塗装 → 参加者に同窓会Tシャツを配布
8.次回、開拓の村展示企画実行委員会の開催
・4月21日(土)に支笏湖合宿を行います。支笏湖散星湖寮にて、15時~深夜
・委員会メンバー以外の参加も大歓迎です。
以上
北海道立文学館のイベントで北大恵迪寮を語る
[サロン]
札幌市中島公園内にある北海道立文学館では、創立50周年記念特別展として、平成30年2月3日(土)から3月25日(日)までの期間で「有島武郎と未完の『星座』 ―明治期北海道の青春群像」が開催されています。会期中には、10個のイベントが計画されており、その7番目として、対談「有島武郎と北大恵迪寮」が去る2月18日(日)に当館講堂で行われました。
講師として対談されたのは、神谷忠孝氏(北海道大学名誉教授、公益財団法人北海道文学館顧問)と藤田正一氏(北海道大学名誉教授、恵迪寮同窓会副会長)のお二人です。
以下、お二人の対談内容の要旨を記します。
* * * *
神谷:昭和33年入寮。帯広三条高校時代に山岳部で山小屋に泊った時の語らいの中で恵迪寮の面白さを知り、北大そして恵迪寮を目指した。学生時代はラグビー部であった。実は、恵迪寮の最初の入寮銓衡で落とされたが、運動部枠があることを知り、グランドでサッカーかラグビーかと考え、最終的にラグビーにした。
藤田:昭和38年入寮。湘南高校時代に予備校の夏期講習の申し込みのため徹夜で並んでいる時に聞いた「都ぞ弥生」に打たれ、志望を東大から北大に変えた。4月2日に札幌に到着、恵迪寮で仮宿をした際に泊まった応援団の部屋には、憧れの先輩(当時の諏訪正明団長)がいて感激した。ただ、私も当初の入寮銓衡で落とされ、補充入銓で入寮した。(注:当時の選考基準は家庭の収入状況でした。)学生寮には、集団の中で互いに切磋琢磨しあい、迷惑をかけあい、マナーを身に着けていく、さらに自治の精神を学ぶという教育的価値がある。まさに人間形成の道場である。昭和58年に今の寮舎になった時、大学が意図することを乗り越えようとした寮生達が工夫して寮生活の良い側面を残した。一方で、個室志向・行事不参加の寮生がいることも事実である。ただ、最近になって、例えばお茶の水大学のように、学生寮の価値を見いだそうとする動きがある。
神谷:自治ということに関連して、有島武郎が明治41年に恵迪寮に舎監として住み込んでいた時の日記に「多分自治が一番いい方法だろう」と書いている。これは、寮で流行した脚気が、当時の賄い業者の不正に因があり、その解決のためには寮生が食材等の調達を行うことが大切であると考えたものある。
藤田:新渡戸稲造も学生にアメリカ流の自治(自分のことは自分で決める・責任をもつ・自立を目指す)を教えた。有島は学生時代に新渡戸の家に寄宿しており、その影響もあったかもしれない。
神谷:『星座』は有島の学生時代のことがベースとなって書かれている。
有島の学生時代の友人に森本厚吉がいた。二人は心中未遂事件を起こしたり、森本の勧めでキリスト教に入信し、卒業前に翻訳「リビングストーン伝」を共著として出したり、別ルートではあるが一緒にアメリカに留学したりしている。有島は、その後社会主義に目覚め、ヨーロッパを回りスイスでティルダという女性と知り合い、多数の書簡を送っている。
有島は学生時代に友人と山歩きした際、一人横道にそれてものすごい恐怖を味わったことがある。その経験が『星座』の中にも投影されている。ただ、有島は基本的にはほとんど道内を動いていない。同じく札幌農学校出身の志賀重昂とは違う。
藤田:いくつかの質問がある。①あまり動かなかったという有島の自然描写について、②森本と心中未遂があったとの事だが、有島は死に吸い寄せられているのではないか、③ティルダとの関係を有島はどう思っていたのか、『星座』のおぬいさんのモデルとしてティルダは考えられないか。
神谷:①有島は、「カインの末裔」で羊蹄の風景、「生まれ出る悩み」で岩内の荒れる海の風景を描写している。ただし、実際に目にしたわけではないと思われるので、絵画から、或いはイメージとして、映像的再生で生き生きと表現している。
②有島の日記の中に、「僕を感動させるのは・・・・多分、死の囁きかもしれない」という一節がある。自殺願望は他にも見られる。実際の心中の時も躊躇していない。③純情無垢なおぬいさんのモデルとしてのティルダ説は初めて聞いたが、面白いかもしれない。
藤田:『星座』には様々な個性をもった人物が登場するが、私も恵迪寮で異なる個性のぶつかり合いを経験した。登場人物のモデルとして、例えば、園は鈴木限三(後の北大教授)と言われているが、有島自身の側面も持っていないか、或いは、人格者である宮部金吾であると考えられないか。
神谷:そう言われるとそんな気もしてきた。宮部はとても親しい先輩であった。皇太子の行啓に際して、佐藤昌介・宮部・有島の三人で豊平館に挨拶に赴いている。
有島は黒百合会を創設するなど学生達と緊密な付き合いをする教師であった。また、学生以外の若者とも感動的な出会いをしている。
藤田:有島は遠友夜学校の代表もしている。この学校は、新渡戸メアリー夫人の乳母から送金された金を基金にして、貧しい子ども達のために教育を行うために開いた学校で、50年間で約5000人が通った。校長は新渡戸、代表は実質的な運営者であった。北大の学生が先生として、全くのボランティア(むしろ持ち出しあり)で協力した。有島はこの学校の校歌も作詞している。
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まだまだ興味は尽きないのですが、あいにく予定されていた時間を大幅に経過しました。残念ながら、ここで一区切りとして、最後に恵迪寮寮歌を歌うことになりました。
参加者の中に、現役の寮生5名、同窓生8名(お二人を含む)がおり、有島武郎作詞「札幌農学校校歌 永遠の幸」、有島武郎作詞「遠友夜学校校歌」、明治45年寮歌「都ぞ弥生」を高らかに歌って、このイベントはお開きとなりました。 -
(恵迪寮同窓会北海道支部副幹事長 千原 治 昭和50年入寮)
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極寒の中、寮歌が燃える~平成30年新年歌始めの会(開催報告)
[事務局からのお知らせ] [北海道支部]
平成30年新年寮歌歌始めの会が1月28日(日)午後1時から、札幌市北区のホテルマイステイズ札幌アスペンで開かれました。
今季の記録的な寒波による凍結などで怪我やインフルエンザの流行で、参加者数が懸念されましたが、道外から前島一淑君(昭和31年入寮)をはじめ、五、六十代の同窓生を中心に、若者パワーの恵迪寮寮生、小樽商大の学生寮や応援団等のOB/現役学生の他、招待の北海道大学と同校友会の役員ら、例年並みの約100人が参集しました。
第1部の北海道支部総会で平成29年の支部活動報告や支部収支報告及び監査報告、平成30年支部活動方針と活動計画が承認された後、第2部の寮歌歌始めの会に入りました。
内藤春彦支部長の開会の辞に続き、横山清会長が年頭の挨拶。そして長谷川晃理事・副学長らのご挨拶。
「都ぞ弥生」の1、2番を斉唱した後、同窓会役員やご来賓の長谷川晃理事・副学長ら6人が登壇し威勢のいい鏡開き。最後に最年長の能勢誠夫君(昭和21年入寮)による乾杯の音頭で寮歌の宴がスタート。
一番手は恵迪寮生で固めた応援吹奏団が登壇、出席者全員で歌唱する校歌「永遠の幸」をトランペットやホルンの勇ましい音響で伴奏し、会場を盛り上げました。
前半は年代ごとに登壇し、「蒼空高く翔らむと」(昭和2年)や「時嘲の波の」(昭和21年)、「魔人の呪い」(大正6年)、「瓔珞みがく」(大正9年桜星会)など名寮歌を熱唱。
恵迪寮歌の合い間には、東北大学出身で来賓の長谷川副学長が寮歌通のOBとともに登壇し、東北大学旧制第二高等学校校歌「天は東北」を歌唱、寮歌を通じて交流を深めました。
また、北大対商大の定期戦を通して友好関係が続いている小樽商大の寮生や応援団関係者らも北大応援団OBらとともに登壇し「若人逍遥の歌」などを熱唱しました。
中入り後、最新の平成29年寮歌「不香の花ぞ」が披露され、作詞者の冠花さん、作曲者の佐藤亮君が寮生とともに元気よく歌い上げました。
約2時間余、楽しい宴が続いた後、恒例の「都ぞ弥生」を1番から5番まで斉唱し、最後に「別離の歌」(昭和6年)でフィナーレ。
「来年もまた元気で歌おう」と誓い合って、散会しました。
(恵迪寮同窓会北海道支部広報常任幹事・大隈昭二(S40入寮))
川越守先生訃報のお知らせ
[サロン]
明治45年寮歌「都ぞ弥生」を北大に定着させるのに大きな役割を果たした北大交響楽団常任指揮者・川越守先生が、平成29年12月9日にご逝去されました。
謹んでお知らせいたします。(合掌)
川越守先生を偲ぶ会は、以下の通り案内されています(ご参考まで)。