年表 恵迪寮/同窓会

 

年号 校名 寮名 会長 事項
大学及び恵迪寮 本会
明治 5 仮学校 寄宿舎 東京芝増上寺境内に開拓使仮学校設置。北海道(蝦夷)の大半が未開地で、南下政策をとるロシアとのトラブルも多いため、土地を拓き国民を定着させて日本国土を明確化するため、開拓使顧問Hケプロンのアドバイスを承け、広大な土地の開拓技術者の養成を急いだ
8 札幌学校 仮学校を札幌に移転し、札幌学校と改称する。この学校は、後の札幌農学校への進学者を養成する予科・予習科であり、開校時は14歳から20歳まで、札幌移転後は12歳から16歳の生徒50名を受入れた。札幌農学校開校後は予習科と称する。修業年限2年
9 札幌農学校 Dr.W.S.クラーク教頭らお雇外国人教師来日
8月14日札幌農学校開校。寄宿舎設置(恵迪寮の前身、全寮制舎生数15名)
10 クラーク教頭帰米、4月16日島松の別れ”Boys, be ambitious.”
第一回開識社開かれる。〔当時の札幌の人口3,000〕
11 寄宿舎の北に演武場(通称時計台)落成。遊戯会(運動会、Athletic meeting)始まる
30 寄宿舎則が定められる。〔舎生数50名〕
32 寄宿舎の自治を施行し、第一期委員会が発足。恵迪寮自治の原点となる
クラーク博士像(現在は同窓会管理品)時計台講堂に掲げられる
帝国大学への昇格が約束され附属農場敷地内(現農学部)に校舎移転工事始まる
33 寄宿舎に初めて電灯がつく。
創立25周年記念祝賀会開催。ここで札幌農学校校歌「永遠の幸」披露される。
36 札幌農学校校舎が現農学部位置に移転。クラーク博士像恵迪寮食堂に掲げられる
38 恵迪寮|初代 新寄宿舎(南・北寮二棟) が現文学部の位置に落成。(現開拓の村恵迪寮舎)
40 東北帝国大学農科大学 札幌農学校が東北帝国大学農科大学となる。
寄宿舎は「恵迪寮」と命名。明治40年度寮歌「一帯ゆるき」なる。以後毎年制定
翌年にかけ恵迪寮食堂の業者委託をやめ、 自炊制を施行
寄宿舎係として有島武郎入舎。大学退職後までも寮生の良き相談相手となる
42 第一回観桜会始まる。ピンポン台、鉄棒、中庭に土俵が設置
45 明治45年度寮歌「都ぞ弥生」成る
雑誌「辛夷」創刊(大正3年迄続く)
大正 4 対小樽高商戦(野球)始まる。 恵迪寮寮歌集を創刊、以後毎年刊行
7 北海道帝国大学 農科大学は医学部の新設が決まって北海道帝国大学となる。
恵迪寮に南寮増築され、従来の南寮は中寮となる。
8 桜星会歌「瓔珞みがく」なる。医学部開設・農科大は農学部となる
9 新学期が4月1日からとなる。(以前は9月から)
10 恵迪寮記念祭(寮祭)の一般公開始まる
11 恵迪寮は予科生だけの寮になる。〔バンカラを好む風潮が始まる〕
昭和 2 恵迪寮は、経済的破局収捨のため、自炊制をやめ請負制にもどる
4 延齢草を図案化し、恵迪寮「寮生章」を制定
6 寮移転のため5月より閉寮。11月学内北辺北18条に新寮へ移築完成
7 恵迪寮|二代 寮裏プール完成。水泳大会開かれる
8 恵迪寮自炊制復活。恵迪寮史刊行
12 定山渓旅行が時勢にそぐわずとして中止
14 恵迪寮記念祭が非公開となる
16 第2次世界大戦開戦。
恵迪寮の運営が、寮生による委員会制から、予科長の任命による幹事会制に移行
18 幹事会制に反発し「恵迪寮小史」を刊行
19 道内各地への勤労動員がつづく
20 終戦。深刻な食糧難
21 幹事会解散。新執行委員会発足。記念祭が復活
22 北海道大学 新制北海道大学となる
25 新学制となり、恵迪寮は教養部在籍学生の寮となる
29 学寮規則が制定される
31 北大創基80周年。翌年に寮の傍に「都ぞ弥生」の歌碑建立
36 クラーク会館落成 関西恵迪会発足
44 大学粉争激化。封鎖、逆封鎖、機動隊導入 <補足>この頃の恵迪会は、恵迪寮OBの集いであるが、「北大予科恵迪寮OBに限る」などの規定を含んでいた。 この条項があるため、新制大学恵迪寮OBが呼びかけ人となり、昭和58年に結成する「恵迪寮同窓会」とは相容れないところがあった。
その大きな理由の一つには、北大予科は通常の旧制高等学校卒業と同等とされ、北大に限らず、全国の大学に進学できたし、相当数の寮OBが他大学に進学していることがある。一方、新制北海道大学の恵迪寮は、北大教養部の学生を収容するため、昭和34年までの札幌医科大学への進学を除き、北大の学部への進学となった。
その北大の学寮には、教養部生のみの恵迪寮、学部生の桑園寮、北学寮、楡影寮、月寒寮、進修寮、水産学部生の北辰寮、大学院生の有島寮および女子学生の女子寮があった
45 植物園内に「瓔珞みがく」の歌碑建立
49 恵迪寮北寮階下より出火。6部屋焼失
50 恵迪寮史、恵迪寮小史復刻
51 本学創基100周年
53 士幌小屋「チセフレップ」建設
55 四条件(完全個室制、水光熱費寮生負担、入退寮権大学側掌握、食堂なし)付き新寮建設が評議会で決定 関東恵迪会発足
57 閉寮記念第74回恵迪寮祭開催 恵迪寮OBが数組に分かれて寮舎に集い、それぞれ寮舎を惜しむ会を開催(恵迪寮同窓会の発端となる)
58 恵迪寮|三代 初代|星光一 全学寮を閉鎖、新しく新々寮を建設して移転 3月恵迪寮同窓会発足。初代会長星光一、代表幹事佐山峻を選出し、事務局を(株)現代ビューローに置く。恵迪寮名継承と旧寮舎の開拓の村移設等を大学に陳情。新々寮に寮名継承と寮歌の存続を要請
8月本会は恵迪寮舎800m2を買取り、道開拓の村に寄贈
59 新々寮は自主入銓を行ったため、大学は入寮募集一時停止で対抗。それ以後平成元年まで繰返す 本会は有志を募り、新々寮と大学の話合い継続・調整に動く
60 「開拓の村恵迪寮舎」が落成。 本会は展示を寄贈し、祝賀会を開催
61 本会の支援により、恵迪寮史第2巻刊行 本会は文集「恵迪の青春」を刊行
62 二代|大原久友 本会第3期総会、第2代会長大原久友を選出、東西日本支部を設立
平成 63 本会西日本支部担当により神戸で「大寮歌祭」を開催、以後札幌(兼総会)、西日本、東日本と毎年回り持ち開催が定着する
1 本会「恵迪寮」の看板を寄贈して寮舎に掲示、大学は恵迪寮名を承認
3 三代|繁富一雄 本会第5期総会において第3代会長に繁富一雄、代表幹事中瀬篤信を選出。本会は写真集「青春の北大恵迪寮」を刊行
4 本会は「第1回開識社」を開催。それ以後、随時各地で開催
6 恵迪寮に、初の女子寮生11名が入寮
7 本会は文芸雑誌「恵迪創刊号」を刊行
8 本会第8期総会において代表幹事に幸健一郎を選出し、事務局を(株)ラルズに移転。本会は文芸雑誌「恵迪第2号」を刊行。低金利時代となり、本会の会計が困窮して終身会員に運営負担金を要請し始める
11 本会発足15周年を記念し、開拓の村恵迪寮に展示を追加
本会は文芸雑誌「恵迪第3号」を刊行
13 四代|中瀬篤信 本学創基125周年 本会第9期総会において第4代会長に中瀬篤信、代表幹事に横山清選出。名誉会長に繁富一雄を推戴
文芸雑誌「恵迪第4号」を刊行
14 本会は規約改正(臨時総会)し,組織強化・三支部体制へ、北海道支部発足(1月31日)
15 本部活動中心から支部活動中心に代え、経済面の改革を推進、2期6年間の改革構想が終わる
16 恵迪通信を併合して「恵迪第5号」刊行し、毎年刊行とする
19 五代|横山 清 恵迪寮命名百周年 本会第11期総会において第5代会長に横山清、代表幹事に白浜憲一を選出。名誉会長に中瀬篤信を推戴
本会は、百年記念委員会組織して醵金を募り、下記の「恵迪百年記念事業」実施。醵金額は企業広告を含め1,270余万円
○記念事業;①都ぞ弥生歌碑修復、②本会管理の文化財大学寄贈、③記念オルゴール制作、④恵迪寮歌CD制作、⑤ポストカード「都ぞ弥生」制作、⑥百年記念寄贈恵迪寮歌制定、⑦記念誌の刊行
○9月22日恵迪百年記念祭を開催、全国から会員等350余名参加;①11:00~都ぞ弥生歌碑再除幕寄贈式(歌碑前)、②12:30~第11期総会、 ③13:00~百年記念式典、④14:00~百年 記念講演、⑤15:30~一万人で歌う都ぞ弥生;第1部大合唱、第2部北大交響楽団演奏会(以上、北大クラーク会館と周辺)、⑥18:30~大寮歌祭(京 王プラザホテル)
○11月 「恵迪第7号百年記念号」刊行。拠金者に寮歌CD送付
20 恵迪寮第100回寮祭 現寮支援の観点から新企画で対応予定