恵迪寮の歴史(7)

【7】コラム【北海道開拓の村恵迪寮舎】

旧札幌農学校寄宿舎:恵迪寮 北海道は、1971年に札幌市東部の野幌原始林内に北海道開拓記念館(2015年春から北海道博物舘に組織替え)を設置したが、その付属施設として隣接地に設けられた「北海道開拓の村」は、主に明治期に建築された北海道各地の由緒ある建造物を54.2haの敷地に移築・再現した野外博物館であり、ここの市街地群第5区に「旧札幌農学校寄宿舎:恵迪寮」がある。

この寮舎は、1903(明治36)年に時計台一帯にあった校舎を現在のキャンパスに移転する際に南寮と北寮の2棟で新築された「初代恵迪寮」を復元した建物であり、永遠なる恵迪寮を祈念して1984年に恵迪寮同窓会が寄贈したものである。ただし、この初代寮舎は、1931年に北18条の第2代恵迪寮に移転して解体された筈であるが、実際には関東大震災の影響で経費節減を求められ、新築でなくて旧寮舎の資材を使って移築したのである。ただし、初代寮舎は西向き、後継の寮舎は東向きのため、南・中・北・新寮の居住棟は、日照に配慮して窓を南に、寒風の吹付ける廊下を北に配置するように、建物の向きを変えず玄関棟を東西に配置換えし、玄関棟は南北に裏返すなどの改装がなされた。したがって開拓の村での復元では、1931年に初代恵迪寮舎を解体・移築した工法を逆手に使い、第2代寮舎800m2を解体・搬出し、当初の初代寮舎に復元している。開拓の村ただし、本来は玄関事務所棟に連なる中寮と北寮の(東西反対の配置になるから)西端3室とスペシャル室を移設すべきであったが、北寮の階段と横の居室がボヤ騒ぎで改修されていたため、新寮の階段を代替させており、展示の北寮階段の装飾は、品がなくて粗悪である。

開拓の村恵迪寮の内部展示は、南寮側に大学史と寮史など基本事項、北寮側に恵迪寮同窓会が寄贈した歴代の寮歌や寮生活の記念品類を公開している。玄関前の庭には、北大と恵迪寮のシンボルマークになっているミヤマエンレイ草やクロユリの草標本と国内の桜3種を展示しているし、裏庭には、寮歌に登場する白樺・桂などの樹木標本を展示して、同窓会は、毎年春に観花会・観桜会を開催している。