恵迪寮の歴史(6)

【6】第三代恵迪寮舎

札幌地区男子寮から第三代恵迪寮へ札幌地区男子寮から第三代恵迪寮へ :1983年4月、前述の新々寮規による寮生560余名の「札幌地区男子寮」が落成し、在来の教養部生の恵迪寮、女子学生寮(後に星霜学寮)、学部生の北学寮桑園学寮月寒学寮進修学寮楡影学寮、さらに大学院生用の有島学寮の寮生が移り住んだ。(なお、学部寮については、OBの投稿によって充実させたい。)

しかし、移住した寮生を統率する北大学生寮連合(寮連)は、負担区分排除と入寮選考権獲得を叫んで自治権闘争に入り、大学が掲げた「札幌地区男子寮」看板の即日撤去、寮事務室の占拠など先鋭的な運動方針を採ったため、学生部委員会で閉寮も検討される最悪の事態になった。加えて一般寮生らも個室制になじめず、恵迪寮の畳を搬入して個室と廊下に敷き詰め、個室を寝部屋・勉強部屋・居間など呼称して共同利用をするブロックが多いため、防災の視点で巡回指導する事務室の大学事務官とトラブルが絶えなかった。そこで発足早々の恵迪寮同窓会は、大学と寮生に繰り返し接触して円満な解決の道を探ったが、執行委員会の交代毎に振出しに戻るなどの紆余曲折を経て、ようやく6年後の1989(平成元)年に大学と寮生が合意し、同窓会が「恵迪寮」の看板を寮舎玄関に掲示し、大学は正式に「恵迪寮」名を承認して表面的には寮問題が終結した。この後は、現寮生が管理運営する第3代恵迪寮が詳しいため、現役恵迪寮HP(http://keiteki.org/rekishi.html)にリンクして同窓会の説明を閉じる。