旧寮保全・展示事業について

恵迪基金【旧寮保全・展示基金 】にご支援のお願い

一般社団法人恵迪寮同窓会
開拓の村旧寮舎展示企画委員会

昭和58 年に北海道開拓の村に移築された旧寮舎の展示物について、経年劣化の修繕補修と共に、「恵迪寮名の存続と寮自治の継承」を主題とした内容への更新・リニューアルを実現するために、2019年11月から2020年4月までの期間で展示改修支援募金を「名札募金」として募集したところ、160名の方から総額200万円を超える応募をいただきました。
ご支援、ご協力いただいた皆様に厚くお礼申し上げます 。
然しながら、現時点の募金だけでは 改修の 実施が困難であり、二次募集の必要があります。
このたび恵迪基金の発足にあたり、「旧寮舎の保全・展示改修」を、恵迪寮名の継承と存続に寄与する当法人の特別目的事業の一つとして位置づけ、「旧寮保全・展示基金」を設けることと致しました。
つきましては、「名札募金」の残余枠の募集による展示改修資金とともに、永続的な旧寮舎の保全資金を使途とする「旧寮保全・展示基金」に、多くの同窓生がご支援ご協力をくださいますようお願い申し上げます。
なお、現時点で展示企画委員会が纏めている展示の企画趣旨=「introduction (前言)」は、次項の通りであります。是非ともご一読いただき、展示改修の意義にご賛同の上、ご支援、ご協賛下さいますようお願い申し上げます。

1. 名称   旧寮保全・展示基金
2. 目的  旧寮舎を北海道開拓の村に移築・再現した初代恵迪寮舎の保存と環境整備、並びに恵迪寮の歴史、寮生活、寮歌などの展示の更新により、恵迪寮名の継承と存続に寄与する。(昭和58年に解体された第2代恵迪寮舎資材の多くは、元来が初代恵迪寮舎から移築されたもので、開拓の村では初代恵迪寮舎として明治時代の図面に基づき復元されています。)
3.  内容
A〉展示改修・名札募金= 1 口 10,000 円
使途を展示改修資金とし、名札希望者は旧寮舎玄関に氏名・入寮年次を記した名札を掲示します。残余枠限り、先着300名とします。掲示時期は、展示改修施工と併せて実施になります 。
〈B〉寮舎整備・保全募金= 1 口 1,000 円  (何口でも可)
展示改修のほか、外壁塗装その他の永続的な寮舎整備・保全の資金として活用 します 。
4. 目標 1000 万円
・展示改修・名札募金は、残余枠300名を達成した時点で終了としますが、寮舎整備・保全募金は、期限がありません。
・ 既に名札を掲示済みの皆様からの寄附も歓迎いたします。名札に、寄附された印(例:延齢草マーク)を付けさせていただきます。
・歴史的な展示資料・データ、映像や音声機器、翻訳の協力などの物資・労力の提供・拠出も歓迎いたします。事務局までご連絡ください。
・コロナ影響で展示リニューアルオープンの日程は、2022年度以降にずれ込む予定ですので、事情ご理解下さいますようお願いいたします。

以上

 

introduction(前言)

1)人生のうちのわずか数年間にすぎませんが、各地から集った出自の異なる若者たちが、学ぶという目的と時空を共有して共同生活する場が学校の「寮」です。それは家族や教室や職場の人間関係とはまた違う、一種の運命共同体です。

2)これからご紹介する「恵迪寮(けいてきりょう)」は、札幌市の北海道大学のキャンパス内に現在も建っている寮です。現在は学部生だけでも男女合わせて500名近く、そのほかに院生や留学生も住んでいます。

3)その原点は、はるか明治9年に現在の時計台付近に開設された札幌農学校の寄宿舎にあります。その後の歴史については展示の中で触れますが、なぜ、ご覧のように昔の寮の建物が復元保存され、史料が展示されているのか、お話しします。

4)その理由は、昔を懐かしむためでも、研究の対象とするためでもありません。そうではなくて、寮生活が下宿やアパートのそれとは違う価値や意味を持っていた、そして現在も持っている、ということを知っていただきたいからです。

5)では、その核心はどこにあるのでしょうか?私たちは「自治」にこそあると考えています。少し大袈裟かもしれませんが、この建物の中を駆け抜けた若き魂を溶かす溶鉱炉や鍛錬する鉄床(かなとこ)の役割を果たしたのが「自治」の精神の下の共同生活でした。

6)では、「自治」とは何でしょうか?(集団では「自治」ですが、個人では「自立」という言葉で言い表されます。「自由」や「自尊心」と表裏の関係にありますし、いわゆる「大人」と「こども」の境界にあるものと言っていいかもしれません)

7)それは・・・他に頼らず、言いなりにもならず、逆に他者を支配したり、抑圧したりせず、その存在と生活を尊重し、自身の責任のもとに行動すること。そのために話し合い、考え、ルールを決め、その都度話し合うこと。

8)実際、寮では重要な議題については、寮生大会(全員参加)や代議員会(部屋代表などの参加)による議決によって意思決定が行われています。また執行委員長(寮長)も寮生全員による選挙によって選ばれています。

9)少々厄介な作業と手続きですが、これなくしては共同生活を続けてゆくための背骨が生まれないのです。つまり基本的な民主主義の手続きを踏むだけでなく、社会で不可欠な協調性や責任感、信頼感、リーダーシップなど、教室だけでは身につけられない、全人的で相互的な成長と鍛錬の場となるのです。

10)しかし「自立」するということは、いかにむずかしいことでしょうか。私たちの周りを見渡しても、他を尊重しながら頼らず、自分の頭で考えて、責任を持って言動している人がどれほどいるでしょうか?あるいは、世界の国々を見渡しても、それができている国はどれほどあるでしょうか?

11)もちろん、恵迪寮も最初から自治制だったわけではありません。日清戦争後の明治32年、戦勝に熱狂した学生による風紀の乱れを律するために寮生たちが自ら規約を作って、寄宿舎会議を基にする自治制度をスタートさせたのです。それも学校を代表する舎監との信頼関係があったからできたことですし、すでにその下地がありました。明治9年の札幌農学校開校に際してクラーク教頭が発した「紳士たれ(Be Gentleman)!」という簡潔な言葉が語り継がれ、学生たちの精神に「自立」という理念を根付かせていたのです。

12)その後、第2次大戦中の昭和17年から敗戦までの3年間、寮の委員も大学当局からの任命制となって自治自体が否定されました。

13)戦後、自治制は復活しましたが、寮の立ち位置も大きく変わりました。厚生施設化とともに学生運動の先導的役割を担うようになり、新寮問題をはじめとして大学当局との対立も先鋭化しました。が、その中でも寮歌や各種行事など、文化活動は絶えることはありませんでした。むしろ、自治制や寮の存続自体の危機に瀕して、チセ・フレップ(山小屋)建設や新寮史刊行など、寮文化が花開いた感があります。

14)残念なことに、現在、実質的に自治制が生きている大学寮は極めて少なく、全国でも貴重な存在です。かつての旧制高校の流れを汲んだ多くの寮はすでに自治寮ではなく、ほとんどがいわゆる個室集合アパートになってしまいました。

15)今このような、先の見えない厳しい時代にあって、個人の自立と個人を超えた集合体の自治が、むしろますます大切になっているように思われます。その意味でも、恵迪寮の自治の伝統を過去の遺物としてではなく、生きている例として、みなさんのこれから先の指針の参考にしていただけると幸いです。