恵迪寮歌にちなんだ歌碑の紹介(5)

[山梨県大月市の星野家旧宅の「瓔珞みがく」の歌碑]

甲州街道の旧下花咲宿本陣跡の星野家前庭に建つ歌碑
甲州街道の旧下花咲宿本陣跡の
星野家前庭に建つ歌碑

 作曲者の星野竒は、山梨県大月市の国指定重要文化財・旧星野家の庭に「瓔珞みがく」への感謝と郷愁を込めて自費で歌碑を建立し、昭和46年11月、東京エルム会及び全国寮歌振興会有志、作詞者の佐藤家の代表らを招いて除幕式を行った。

 北大植物園の記念塔を2分の一に縮小した歌碑で、一般に植物園のものを正碑と呼び、星野家のものを副碑と呼んでいる。

 旧星野家は甲州街道の下花咲宿の本陣跡で、大名行列が宿泊したと伝えられる。現存する建物は180年前に建築された国指定の重要文化財となっており、一般公開されている。

 母校で造園・建築学を専攻した星野は、関東大震災後の復興計画や日本初の西洋式公園で知られる横浜・山手公園の造園計画を手掛けた後、昭和9年に故郷の大月に戻った。北大時代、納豆菌純粋培養の研究で知られる半澤洵教授の講義を受けたことから翌年、山梨県内で初めての納豆製造・販売を始めた。80年経った今も星野家の「富士納豆」は県内の人気ブランドになっている。