恵迪寮歌にちなんだ歌碑の紹介(1)
<明治45年(1912)寮歌「都ぞ弥生」歌碑>
「都ぞ弥生」の歌碑は、青春の地・恵迪寮を忘れ難いOBたちが自らの墓石に歌詞を刻んだものを含めると全国に数多くあるといわれるが、公式なものとしては、北海道大学構内・恵迪の杜(旧恵迪寮南側)と、横山芳介が眠っている静岡市葵区の長源院境内に建つ、二つの歌碑である。
[北大構内・初代「都ぞ弥生」歌碑]
恵迪寮歌「都ぞ弥生」は、北海道の大自然を余すところなく歌い上げた名曲で、旧制一高寮歌「嗚呼玉杯に」、三高寮歌「紅萌ゆる」と並び、日本三大寮歌として多くの人に愛唱されてきた。そこで昭和31年(1956)の創基80周年記念事業に集まった横山芳介の同期生たちから「都ぞ弥生」歌碑の建立が発議され、全国の北大OB、教職員から多額の寄付金が寄せられた。もちろん恵迪寮生も実行委員会の一員として、当時の執行委員長・横山清君らが企業や商店を回って募金活動に奔走し、寮生達も歌碑周辺の整地作業など労力奉仕に汗を流した。翌年9月24日、恵迪寮南側の原始林内遊歩道脇に設置した巨石の白御影石(茨城県産)に黒御影石版をはめ、横山が学生ノートに書いた直筆の歌詞を拡大して彫り込んだ歌碑が建立された。除幕式には横山夫人と長男芳男氏及び作曲の赤木顕次夫妻も参列、式典の後、恵迪寮食堂で来賓を招いて歌碑除幕祝賀会を開き、赤木氏が寮生に原曲の歌唱指導を行った。