南総長の「知徳併進」

南鷹次郎第2代総長揮毫の扁額「知徳併進」

掲示場所

 北18条にあった第2代恵迪寮舎の寮務事務室または応接室に掲げられていたと思う。
 現在は、北海道大学の大学文書館に寄託している。

揮毫経過と文意

 この額は、落款によって「昭和壬未春日/北農」、すなわち1931(昭和6)年春に書かれた。雅号北農は、落款印に南鷹次郎とあって揮毫者を明らかにしている。

 南先生は、その前年12月19日に佐藤昌介先生の後を継いで第2代総長に就任したが、その最初の大事業が恵迪寮舎の移転であった。本来は、法文系学部を新設する概算要求に当って建築場所の関係から恵迪寮舎の移転を要求したのであるが、意外にも寮舎の移転のみが認められたのである。そこで昭和6年1月19日に恵迪寮が主催した「新旧総長歓送迎晩餐会」の際に、突然に寮舎移転の話を述べて協力を乞いつつ、この扁額を贈られたと理解される。

 縦54cm、横170cmの額に表具された「知徳併進」の扁額は、出典は未発見であるが、仏語の「仏の三徳の一」と言われる儒学思想に由来しており、「知徳併進」とは「知識の獲得と同時に人間としての徳(知育・徳育)を重んじなさい」、「知に偏することなく、人間として豊かな心を備えなさい」と読解される。そこで恵迪寮では、”Per Aspera Ad Astra” と書いた閉寮記念メダルを作成して初代恵迪寮舎で最後の卒業生を送り、次いで4月26日に閉寮記念晩餐会を最後に全員が寮舎を退出したのであった。

揮毫者

 南先生は、農学校2期生として1881(明治14)年7月に卒業し、2年後の1883(明治16)年には農学校の助教授に任じられ、農学のお雇外国人Brooks教授の下で農場主任となった。それ以来、学生に最も信頼される先生として評価が高いこと、Brooksの後継者として農学の全分野を担当し、農業経済学の佐藤昌介、植物学の宮部金吾両先生の分野を除いて、畜産・獣医学、農芸化学・工学などの講座や学科を創設したこと、農場解体の危機を救って基礎を築いたことなど、農学部と農場の発展に多大の功績がある。その在籍中に農場長を31年間、農学部長を8年間、総長を2年10ヶ月歴任し、その一生の大半を管理職で過された。以下、扁額「自彊不息」に続く。