佐藤総長の「恵迪吉」

佐藤昌介初代総長揮毫の書額「恵迪吉」

掲示場所

 第2代恵迪寮舎の開設間もなく受領した本書額は、大食堂の壁面にクラーク肖像画と並べて掲げられ、ここで生活した51年間7,600 余名の寮生に最もなじみ深い書額である。現在は、北海道大学の大学文書館に寄託している。また、開拓の村恵迪寮舎の応接室には、数cm 縮小した複製品が掲示されている。

揮毫経過

 この額は、1933(昭和8)年に刊行された「恵迪寮史」の題字のために書かれた。寮史は、扉に当時の総長南鷹次郎先生の筆になる「恵迪寮史、北海道帝国大学恵迪寮」を掲げ、次頁に「恵迪吉従逆凶惟影響」と書いた題字を掲載する。この書は、この寮史題字の原本であり、縦1m59cm、横87cmの額に表具されている。これを裏付ける記録は、書額裏側に「贈恵迪寮/昭和8年11月16日/恵迪寮史の完成を記念して/バンザイ、山本泱、真野潔/丸田吉人、加太光邦/佐藤昭、小島悦吉/笠間尚武、佐野清/長田芳次郎/恵迪寮寮史編纂委員」とあることから明らかである。

 この「恵迪寮史」は、自炊制度の赤字完済などで自治意識が高まった1929(昭和4)年に編纂に着手したが、突如、明治38年から続いた初代恵迪寮舎が北18条に移転する大事件が加わったため、第1次から第6次までの編纂委員会によって進められ、ようやく昭和8年11月21日に1,200余頁の大冊として上梓された。そこには、北大の歴史と共にクラーク博士の「Be Gentleman 以外に規定はいらない」と言う自主独立の精神を継承した自治寮の歴史が詳細に述べられている。

揮毫文の意味

 恵迪寮という寮名の出典となった四書五経の「書経」「大禹謨」から、舜帝と賢臣の益稷が先帝の堯帝の徳を称えたのに対して禹が述べた言葉を揮毫したものである。禹は「迪(みち)に恵(したが)えば吉にして、逆に従えば凶なり。惟れ影響たり」、すなわち、「善道に従えば吉事があり、悪道に従えば凶事があるのは、影が形に従い、響が音に応ずるように確かで明らかなことです」と答えた。西安の碑林に書経の碑があり、ここの第1室の奥から10番目の石碑に恵迪吉の文が刻まれている。

揮毫者

 書の落款には、「琢堂書」という署名があり、さらに「佐藤昌介」「琢堂」の2つの落款印があることから、明らかに農学校校長、農科大学学長、初代北大総長(1891~1930)を歴任して大学の基礎を築いた農業経済学の大御所佐藤昌介先生である。クラーク博士に直接の薫陶を受けた農学校1期生で、恵迪寮の前身である寄宿舎で学生生活を送り、恵迪寮の発展にもいろいろと配慮された先生である。以下扁額「手稲山頭」のページに続く。