ヒストリーライブラリー
細野日記
ー戦中・戦後に在籍した北大予科医学生の記録ー
はじめに
今から七九前、太平洋戦争末期の昭和二〇年四月、北海道帝国大学予科医類に東京都町田市出身の細野順三君が入学、恵迪寮に入寮した。細野君は入寮直後から「恵迪寮日記」をつけ始め、医学部に進学した昭和二七年一月まで、日々の出来事から、寮内行事、社会情勢、さらに人生観・宗教観、恋愛論に至るまで綿密に書き綴り、ノート日記は延べ五冊に上った。卒業後、国立相模原病院小児科を経て国立小児病院に昭和五〇年まで勤務。その後、婿養子先の町田市村野病院を引き継ぎ、小児アレルギー研究の先駆者として地域医療に献身されたが、平成二〇年、八二歳で他界された。最近、遺品の中から恵迪寮日記をはじめ、恵迪寮内行事や寮委員会、戦後間もない構内風景などおびただしい写真が見つかり、婉子夫人から「主人が青春の一時を過ごした北大、恵迪寮の史料として役立ててほしい」と、恵迪寮同窓会に寄贈された。
その内容は第一分冊(一九四三年一一月~一九四五年四月)に戦中激動期の北大予科白線時代の学生生活、第二分冊(一九四五年六月~一九四六年五月)では太平洋戦争の敗戦に伴う精神的混乱、第三分冊(一九四七年一一月~一九四八年六月)恵迪寮の日常と寮務会計の役割、第四分冊(一九四九年四月~一九四九年一一月)恋人婉子さんとの婚約の喜び、第五分冊(一九五〇年三月~から一九五二年二月)医師を志す医学生としての心構えとその学園生活等で構成されており、全五冊を可能な限り原文のまま入力して冊子体化した。
その内容は戦後、恵迪寮(新寮)で寮生活を送った同窓生はもちろん、建て替えられた新々寮の入寮者にとってまたとない歴史的資料であり、戦中戦後激動期の大学生の軍国主義から戦後民主主義への移行に伴う精神的葛藤を広く知っていただきたく願うものである。
本文とあとがき及び原文は以下のPDFファイルをクリックしてご覧ください。なお、冊子体の完全版と縮刷版は北海道大学付属図書館、北海道大学大学文書館、国立国会図書館、北海道立図書館、札幌市立図書館に寄贈しておりますので、そちらでも館内閲覧が可能です。
本文 (1~241ページ) 本文 PDF
あとがき あとがき PDF
はじめに・目次
はじめに・目次
原文 第一分冊 242~282ページ(1943年11月~1944年5月)
原文 第一分冊
原文 第一分冊(2) 283~352ページ(1944年5月~1945年4月)
原文 第一分冊(2)
第二分冊(恵迪寮日記) 353~407ページ(1945年6月~1946年5月)
原文 第二分冊(恵迪寮日記)
第三分冊(1) 408~471ページ(1947年11月~1948年5月)
原文 第三分冊(1)
第三分冊(2) 472~483ページ(1948年5月~1948年6月)
第四分冊 484~537ページ(1949年4月~1949年11月)
原文 第三分冊(2)と第四分冊
第五分冊 538~602ページ(1950年3月~1952年2月)
原文 第五分冊
プロフィール・アルバム 603~614
プロフィール・アルバム
恵迪寮の歴史と文物
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恵迪寮の歴史
目次
1. 札幌農学校寄宿舎(1875-1903年、北1条西2丁目)
2. キャンパス移転(札幌キャンパスの始まり)
3. 初代恵迪寮舎(1905-1930年、札幌市北10条西6丁目)
4. 第2代恵迪寮舎(1931-1983年、北18条西8丁目、現高等教育研究機構棟の西側)
5. 新々寮規による自治寮の排除
6. 第三代恵迪寮舎
7. コラム【北海道開拓の村恵迪寮舎】
恵迪寮食堂にあったクラーク博士肖像画
目次
1. クラーク博士肖像画の制作
2. クラーク博士肖像画の恵迪寮移管
3. クラーク博士肖像画の継承
歴代総長の扁額
目次
佐藤昌介総長の書額「恵迪吉」
佐藤昌介総長の扁額「手稲山頭」
南鷹次郎総長の扁額「知徳併進」
南鷹次郎総長の扁額「自彊不息」
今 裕総長の書額「立身沃作」
今 裕総長の扁額「養之如春」
伊藤誠也総長の扁額「青年抱大志」
佐藤昌介総長の掛軸「亭ゝ喬樹」
南鷹次郎総長の「恵迪寮看板」
赤木顕次氏の色紙「貴き野心」
恵迪寮歌にちなんだ歌碑の紹介
明治45年(1912)寮歌「都ぞ弥生」~ 「都ぞ弥生」の歌碑は、青春の地・恵迪寮を忘れ難いOBたちが自らの墓石に歌詞を刻んだものを含めると全国に数多くあるといわれるが、公式なものとしては、北海道大学構内・恵迪の杜(旧恵迪寮南側)と、横山芳介が眠っている静岡市葵区の長源院境内に建つ、二つの歌碑である。
1. 北大構内・初代「都ぞ弥生」歌碑
2. 北大構内・二代目「都ぞ弥生」歌碑
3. 静岡市葵区・長源院の「都ぞ弥生」歌碑
大正9年桜星会歌「瓔珞みがく」~ 深田久弥著「日本百名山」に、大雪山源流の峻嶮な渓谷美を歌った「瓔珞みがく」の一節がある。この歌は北海道帝国大予科生の校友会組織「桜星会」が隔年ごとに制定している会歌の一つだが、作詞・佐藤一雄君(北大応援団長、大正12年農学科卒)、作曲・星野竒君(旧姓・置塩竒=おしお・くすし、大正12年農学科)ともに恵迪寮生。今日でも「都ぞ弥生」と並んで寮生、北大生に愛唱され、旧制高校の流れをくむ全国規模の寮歌祭でもよく歌われる。
4. 北大植物園の記念塔(歌碑)
5. 山梨県大月市の星野家旧宅の「瓔珞みがく」の歌碑
恵迪寮同窓会
参考 昭和58年学生部発行 北海道大学学生寮新設・閉寮記念誌
恵迪寮落書集
恵迪寮 落書集(PDF 3.6MB)
青春興亡の百年・応援団概史(全編)
十勝の高原にたたずむ “自治の砦”士幌小屋(チセ・フレップ)
士幌小屋活動の記録1983年小屋史編集委員会
士幌小屋活動の記録(PDF 8.2MB)