戦時体制

戦時体制:1940(昭和15)年は、当時使っていた旧暦の皇紀2600年(若い方への注記:皇紀は(神話の)神武天皇即位からの年数で、日本国の存立年数と教えた)であるため、国を挙げて「紀元2600年の歌」を歌って戦時体制へ突き進んだ。文部省は高等尋常小学校を国民学校に組織換えし、大学学部では修学年限の短縮(繰上げ卒業)、恵迪寮では自治寮の証しとなる執行委員会を廃止して大学が任命する幹事制となった。さらに1943年には、大砲の弾に加工するとして家庭の鍋釜ばかりか、クラーク像やエルムの鐘まであらゆる金属が供出させられたし、文系学部三年生の学徒出陣(技術系学生も繰上げ卒業と同時に軍に召集)、予科生には学徒勤労動員が命じられ、終戦時の恵迪寮には防空要員の30名ほどが在寮したに過ぎない。