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恵迪入寮50周年の集い報告

[サロン]

報告:恵迪入寮50年の集いー入寮50周年そしてこれからの生き方を考えるー
呼びかけ人代表(大沼博良)

【昭和42年入寮・昭和43年入寮・昭和44年入寮】
恵迪入寮50年の集い(昭和42・43・44年入寮)として、当時の寮委員会の委員長が連名で集いを呼びかけた。呼びかけ人は、道内在住ではなかったが道内在住入寮者と連携して計画を進めた。
計画は、この集いを3部構成+オプション四部として検討した。
第一部 開拓の村・旧恵迪寮舎での寮歌斉唱と記念撮影見学
第二部 第二部 丸駒温泉にて「恵迪とわたし」と題して、3人によるスピーチを行い、懇親会へ向けての話題提供をした。
第三部 第三部 懇親会 一次二次三次まで計画し、大いに盛り上がった。
第四部 第四部 翌日 現北大恵迪寮への表敬訪問。

【第一部】
五十年ぶりの再会。開拓の村入口では「オー○○」「えっ?だれ?」などの声が飛び交う。お互い恵迪寮時代とは違う身なりと風貌。わからなくて当たり前か。
「○○!」「わからなかった」・・・。お互い名を名乗ってはじめて誰なのかを知ることもあった。
記念撮影と「都ぞ弥生」斉唱そして、旧恵迪寮舎内部を見学実際の恵迪寮とはすこし違うところがあったが、
「ここが寮務室だったな」「反対は何だったっけ」と記憶を探る時間であった。
旧恵迪寮があることで、これからもまた思い出と出会うことが出来そうである。
第一部終了後、丸駒温泉のバスで一路温泉へと向かった。約一時間半のバスでは、自己紹介を兼ねたその後の人生を報告しあった。

【第二部】
丸駒温泉に到着後ゆっくり休む間もなくすぐに「セミナー」をする。
昭和43年入寮の3人(伊藤誠一、竹田秀人、両角憲二)による「恵迪と私」と題してミニセミナーを実施。寮生活とその後の人生の一端を報告した。時間の関係でセミナーとはいえ十分な話し合い・感想の出し合いは出来ず、第三部の懇親会にやることになった。
セミナー後、既に外は暗く湖越しの山並みの景色は翌朝に持ち越したのであったが、各自ゆっくりと温泉につかり北の秘湯の情緒を堪能した。

【第三部】
いよいよ懇親会。物故者三八名への黙祷から始まる。二時間では足りない時間で自己紹介を兼ねた「恵迪と私」を披露する。バスの中でもやったことであるが、バスで来なかった方には十分な時間で報告をした。
差し入れのアルコールがたくさんある中、報告とは別にテーブル毎に大いに盛り上がった。
あっという間の懇親会一次会。
寮歌のリクエストで思う存分歌った。
懇親会二次会は、部屋を変えて続く。寮歌三昧であった。と、同時に入寮当時大学紛争の様子(校舎の封鎖や集会・デモ)の映像をたっぷりと鑑賞しました。これは、北大職組の方が8ミリ撮影し、DVDに編集したものを今回の集いで当時を思い出す一助として提供していただいたものです。そのDVDがほしいとの希望が殺到した。
懇親会三次会。またまた、部屋を変え、まだ飲み足りない連中と話し足りない連中が2時過ぎまで続く。

【第四部】
九時半にホテルのバスで札幌駅までの予定を北十八条まで送ってもらい、建て直した後の現在の恵迪寮へ有志14人で表敬訪問をした。
旧恵迪寮の跡地の傍らを通り、新しい校舎が建つ中記憶を辿った。旧恵迪寮がここにあったという碑も見ながら現北大恵迪寮へ訪問。今は第311期寮委員会という。私たちは、193期から200期寮委員会であった。
現寮委員の案内で寮内を見学する。かつての恵迪寮での様ではなかった。当然であるが。すでに入寮から五十年が過ぎている入寮当時と違って当たり前であるが、何とも言えない気持ちになってしまう。
しかし、自治寮として存続していることには敬意を表さざるを得ない。
今は、東大駒場寮はない。京大吉田寮は、廃止の危機に遭っている。
現北大恵迪寮も新寮問題が出ているという。ひきつづき自治寮として続いてほしいと願わざるを得ない。そして、恵迪寮そのものが存続することを強く思わされた「恵迪入寮五十年の集い」であった。

写真は以下をクリックしてご覧ください。

報告文書(写真)