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加藤忠一さんの自作絵画の公開について(最終第7弾)

[サロン]

【謹告】
恵迪寮同窓会広報委員長の八重樫幸一(S41)です。

この度、昭和36年入寮の加藤忠一さん(画家、相模原市在住)から、次のようなお話をいただきました。「恵迪寮時代の生活を絵にしたため、それを本として出版しました。ついては、それを何回かに分けて恵迪寮同窓会のFacebookページに公開していきたい」とのことです。
これも、広い意味での恵迪寮の文化的財産といえるだろうと思い、快く申し出をお受けすることといたしました。

※ホームページにも掲載します。

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29バイト:
毎朝事務室から放送がある。バイトの募集だ。「草むしり600円、二人」それを聞いて、希望する寮生が集まり、抽選で決定する。もちろん、学校は休むのだ。筆者も、絵にあるようないろんなバイトをやった。肉体労働ものはきつかった。

 

29バイト

 

30寮歌・「都ぞ弥生」歌碑:
筆者が入寮する前の昭和32年に、歌碑ができた。寮の横、原始林の入口にある。「都ぞ弥生」は明治45年の寮歌であるが、以後も毎年一曲作られてきている。応援団に指導されて事ある度に歌わされるので、今でも20曲は空で歌える。

 

30歌碑

 

31スペシャルエッセン:
夜11時過ぎ、寮内に鐘が鳴りわたる。スペシャルエッセンだ。都合で夕食を食べることができなかった者の分を、希望者に与えるのだ。腹を空かした寮生が、それっとばかり食堂へ走る。冷え切ったご飯に熱湯をかけて、温めてから食べた。

 

31スペシャルエッセン

 

32スキー・スケート:
体育単位取得のためには、水泳の他にスキーかスケートのどちらかの検定合格も必要だった。筆者はスキーで受けた。スキーの話では、初雪の日藻岩山に部屋の連中と行ったら、翌日の道新に掲載されて、皆全く驚いたことを思い出す。

 

32スキー

 

33風呂場:
風呂場は、一番奥にあった。だから新寮のはずれの部屋などは、寒い冬など最悪だった。300人もいたのに、風呂場が混雑して困るなどということはなかった。寮生の行動時間が違っていたからなのかどうか、分からない。

 

33風呂

 

34夜食・ラーメン屋:
とにかく若いから、夜の寮食だけでは腹が空いた。スペシャルエッセンにありつく他に、ゲルがある時は、夜食を食べに行った。病院前通りに寮生馴染みのラーメン屋があった。スペシャルエッセンとは比べ物にならないくらい美味かった。

 

34夜食

 

35図書室:
飲んで、歌って、踊るような生活ばかりやっていたように思われるだろうから、最後は格調の高い話題で締めたいと思う。寮には、図書室があった。ここには夜遅くまで勉強する連中がいた。だが筆者は、もちろん(?)行ったことはない。

 

35図書室

 

以上