恵迪寮食堂にあったクラーク博士肖像画

クラーク博士肖像画 左写真のクラーク博士肖像画は、1905(明治38)年の第1代恵迪寮舎の新築時から1983(昭和58)年の第2代恵迪寮舎の閉鎖時まで、78年間も恵迪寮食堂に掲示されていたため、その間の約11,000人に達する恵迪寮生の生活と活動を見守ってきたなじみ深い像である。この肖像画は、本来1899(明治32)年7月にクラーク博士を顕彰するために予科講師飯田雄太郎に委嘱して制作し、演武場2階の講堂に黒田清隆の肖像画と左右対にして掲げ、1901年の札幌農学校創立25周年を祝った大学初の肖像画であるが、何故に恵迪寮に移されたのであろうか。そして恵迪寮同窓会は、学内で寄託管理しつつ、1905年に学生に下賜された経過を考慮し、早々に恵迪寮もしくはクラーク会館等の学生が集う場所に掲げたいと願っている。ここに到るクラーク博士像の数奇な運命をたどる。


目次
1.クラーク博士肖像画の制作
2.クラーク博士肖像画の恵迪寮移管
3.クラーク博士肖像画の継承