W.S.クラーク氏

札幌農学校初代教頭
クラーク博士 William Smith Clark
1826-1886
 
合衆国マサチューセッツ州生れ、アセスト大学卒、ドイツ留学、1876年マサチューセッツ農科大学長、1876年現職のまま1ヶ年間新設の札幌農学校教頭として札幌へ、1877年札幌を去るにあたり残した”Boys, be ambitious!(青年よ大志を抱け)”の言葉は、広く知られている。上の肖像画は明治32年(1899年)札幌農学校の飯田勇太郎氏が画いたもので、明治40年以来恵迪寮食堂に掲げられていた。
 
札幌農学校は開拓史によって開設されたが、学校の基礎づくりに大きな役割を果たしたのは、農学校開校にあたり教頭として来日したアメリカ・マサチューセッツ農科大学長ウイリアム・S・クラーク博士であった。ホイーラー、ベンハローの若き教授2人を伴なって、明治9年(1876)来道した博士は、自ら教えながら農学校の組織や管理運営などの教育体系を整えた。実学的学問の尊重とキリスト教精神に貫かれた博士の自主自立の精神は、直接博士から教えを受けた第1期のみならず、2期生以降の学生にも、感銘を持って語り継がれ、大きな影響を与えた。恵迪寮の自治寮としての歴史は、明治32年(1889)の自治制施行に始まるといわれるが、その萌芽はクラーク博士の教えにあった。寄宿舎の開舎にあたって、舎則が問題となった時、博士は、”Be gentleman(紳士たれ!)”で充分と答えた。舎則は制定されたが、舎生たちの規則に対する考え方が変わった。「博士は凡ての規則を重んずるが、規則でやるのでなく、自己の良心に従ってやる」この自主自立の精神は、かの”Boys be ambitious”(青年よ大志を抱け)の言葉と共に今日に語り継がれ、恵迪寮の、そして北大の精神的支柱として生きている。

 

札幌農学校は、明治9年(1876)8月、アメリカからクラーク博士やホイーラー、ペンハローらの教授を迎え、わが国初の高等農学教育機関として開校した。 農学校の授業は教授陣、カリキュラム、教科書の全てがアメリカのカレッジ形式で行われ、特に初期の学生に多くの影響を与えた、幾多のすぐれた人材を世におくった。(上の写真は、初代教頭として赴任したマサチューセッツ農科大学長のクラーク博士の像・北大構内)

 

明治10年島松まで見送りに来た寮生たちに別れを告げるクラーク博士、梁川剛一画