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月別アーカイブ: 2019 1月

写真集 「北海道大学 夢風景 ~北大生の見た1950年代の札幌の原風景」のご紹介

[サロン]

この度S28年入寮の内藤裕史さんが自費出版された写真集「北海道大学 夢風景 北大生の見た1950年代の札幌の原風景」をS31年入寮の編著者川原幸則さんより事務局にご提供頂きました。既に1月2日の北海道新聞でも紹介記事が載り多くの方々から注文が寄せられているそうです。
今回、恵迪寮同窓生にも見ていただきたいとのことでご提供がありましたので、頒価500円(郵送料込)でご希望の方にお送りいたします。ご購入はグッズ販売のページからお申し込みください。
この写真集制作の経緯や内容等についての内藤裕史さんの「はじめに」の文章を転載させていただきますので、以下のPDFをクリックしてお読みください。
夢風景PDF

グッズ販売ページは以下

グッズ販売

事務局


平成31年新年寮歌歌始めの会の開催報告(北海道恵迪寮同窓会)

[北海道支部からのお知らせ]

恵迪寮同窓会恒例の「新年寮歌歌始めの会」が1月26日(土)にホテルマイステイズ札幌アスペンで開催された。

恵迪寮同窓会の一般社団法人化に伴って、新たに発足した北海道恵迪寮同窓会が主催する形となった最初の歌始めの会であり、平成最後の歌始めの会であった。

第一部の北海道恵迪寮同窓会定時総会も滞りなく終わり、内藤春彦会長の開会の挨拶により第二部の歌始めの会が始まった。続いて、横山清理事長による年頭のご挨拶、さらに、ご来賓の佐伯浩北大元総長と三上隆北大ほっかいどう同窓会長よりご祝辞をいただいた後、大谷文昭寮歌部長の発声により全員で「都ぞ弥生」を斉唱した。89名の出席者の朗々とした若々しい歌声に寮歌祭の雰囲気は弥が上にも盛り上がった。鏡開きの後、藤田正一副理事長の乾杯の音頭で会場内は旧交を暖めあうにぎやかな歓談となった。

いよいよ寮歌高吟である。
今年の選曲は、これまであまり歌われてこなかった名曲を披露する意を込めて、昭和41年「いつの日か生命結ばん」・昭和50年「憧憬の故郷」・昭和54年「うす紅の」を組み込んだ。また、現役寮生からは平成30年第110回記念祭歌「蔦壁照らす」をはじめ平成の寮歌が紹介された。明治40年「一帯ゆるき」に始まり、110年以上途切れることなく作られ歌われ続けてきた恵迪寮寮歌の歴史の深みと厚みを改めて感じた次第である。

今年も小樽商科大学からOB・現役の方々が駆け付けてくださった。長年の友情に心から感謝申し上げたい。北大応援吹奏団の演奏も歌始めの会では欠かせないものとなった。この高らかな楽器の音色と力強い声援が競技応援でも発揮される。応援される北大各部の選手は勇気百倍でプレーに集中するに違いない。現役の寮生は始めから終わりまでほとんど立ちっぱなしで歌っていた。寮歌好きの学生が多数いることを目の当たりにし、北大恵迪寮は健在であるという意を強くした。

フィナーレは、昭和21年入寮の石坂實・能勢誠夫両大先輩から平成30年入寮の学生まで約90名の参加者が老いも若きもなく共に肩を組んで、明治45年「都ぞ弥生」を心の底から歌った。万感の思いを込めて、昭和6年閉寮記念寮歌「別離の歌」を歌った。最後は「ストームの歌」で飛び跳ねた(?)。

皆様のご協力により、予定していた時間に八重樫幸一副会長の閉会の挨拶をもって「宴遊の筵」は来年の再会を約してお開きとなった。

(文責;北海道恵迪寮同窓会副幹事長 千原治 / 写真;北海道恵迪寮同窓会幹事 岩﨑正、同  亀山敏)

①開会の挨拶をする内藤春彦会長

②年頭のご挨拶をする横山清理事長

③佐伯浩元北大総長によるご来賓の挨拶

④三上隆北海道大学ほっかいどう同窓会長によるご来賓の挨拶

⑤「都ぞ弥生」の発声をする大谷文昭寮歌部長

⑥藤田正一副理事長による乾杯の音頭

⑦昭和41年寮歌「いつの日か命結ばん」

⑧「小樽商科大学校歌」及び「若人逍遥の歌」を歌う小樽商大関係者

⑨北大応援吹奏団の演舞

⑩切らすことなく寮歌を歌う現役寮生たち

⑪昭和21年入寮の能勢誠夫(左)と石坂實(右)両大先輩もお元気です

⑫肩を組んで「都ぞ弥生」を高唱

⑬「ストームの歌」あまり足が上がらない

⑭八重樫幸一副会長による閉会の挨拶

以上


平成31年 新春寮歌歌い初めの開催報告(東日本恵迪寮同窓会主催)

[東日本支部] [東日本支部からのお知らせ]

2019年1月14日、「平成31年 新春寮歌歌い初め」(東日本恵迪寮同窓会主催)が東京駅前サピアタワー10階の北大東京オフィス大会議室にて行われました。

坂倉東日本恵迪寮同窓会会長の挨拶のあと、参加者でそれぞれ出身地、専門や仕事、近況などの自己紹介を行いました。熱弁をふるう会員が多く、また恵迪らしく鋭い質問や脱線もあり楽しい交流となりました。

後半は「都ぞ弥生」に始まり、「都ぞ弥生」に終わる寮歌の歌い初め。なお昭和21年寮歌「時嘲の波の」の作曲者・寺井幸夫氏が昨年12月17日に逝去されたことが坂倉会長から報告され、「時嘲の波の」を全員で斉唱しました。

今回の参加者は10名でした。次の東日本恵迪寮同窓会主催の企画は、8月11日(日)山の日の草刈り寮歌祭です。
みなさんの参加をお待ちしています。

(文責・写真とも東日本恵迪寮同窓会幹事長 竹下 忠彦(S53))

Figure1 プロジェクター(寮歌歌詞)担当は、加藤秀弘氏(S46)です。

Figure2 スクリーンの歌詞を見ながらの熱唱が続きます。加藤秀弘氏(S46)もプロジェクターを操作しながら、熱唱。手前は長谷川久氏(S32)

Figure3 各寮歌交代で前口上を言います。前口上(立位)を言うのは、関口光雄氏(S39)

Figure4 「瓔珞みがく」では、坂倉会長(S44)が寮旗を振りました。手前は、初参加の佐藤八雷氏(S39)

Figure5 「花繚乱の」で手拍子をとる成ケ澤憲太郎氏(S40)、長谷川和雄氏(S42)

Figure6 最後は「都ぞ弥生」を全員起立で斉唱。写真左から、坂倉雅夫会長(S44)、佐藤八雷氏(S39)、加藤秀弘氏(S46)、長谷川久氏(S32)、関口光雄氏(S39)、朝倉仁樹氏(S52)、大島久氏(S24)

以上


なぜ、「現恵迪寮大改修支援募金」を行うのか

[事務局からのお知らせ]

1.現恵迪寮の現状

かねてから恵迪寮自治会では、老朽化した設備等の改修を大学に要請してきましたが、進展を見ることなく推移してきました。
恵迪寮同窓会としても、このまま推移すれば給排水の設備等が大規模な損壊を引き起こし、恵迪寮の使用が不能になるのではないかと危惧しておりました。

そうなれば、輝かしい歴史を有する恵迪寮が、現下の文部科学省の考えから推測するに「廃寮」という最悪の事態になることも想定しなければなりません。

次に述べる通り、寮の存続は生易しいことではないのです。

ご案内のように、日本三大自治寮の一つといわれていた東大駒場寮(鉄筋コンクリート造り)は、1991年の教授会による廃寮決定から10年間の廃寮阻止の戦いにも関わらず、2001年(平成13年)に強制退去の末に廃寮に追い込まれました。67年の歴史に幕を閉じたのであります。

また、現在同じく日本三大自治寮の一つといわれている京大吉田寮(木造)が、「耐震性の不足」を理由として、平成30年9月末日までに全寮生が退舎するよう求められています。吉田寮は、1913年(大正2年)に建てられ、今年で106年となります。

ちなみに、三大自治寮の一つである恵迪寮は、2代目恵迪寮が1931年(昭和6年)に移築され、1983年(昭和58年)に取り壊しとなりました。移築から52年が経過していました。そして3代目の恵迪寮新築については厳しい戦いがありました。

2.寮の改修にはお金がかかるが、大学にはお金がないようである

大学は平成16年に法人化されました。その時の国からの北大への「運営費交付金」は449億円でした。それが平成29年には、360億円になり、13年間で89億円の減となりました。国からの運営費交付金は、大学の収入の中で最大の費目ですが、毎年削減される仕組みになっています。

一方、支出の部では、人件費、教育研究費、一般管理費等いずれも削減が困難なものが多く、大学の収支構造は硬直化しつつあると言えます。

このような中で、現恵迪寮の存続を図るため必要な改修の資金を捻出するのは厳しいと言えます。しかし、だからといって恵迪寮を現状のまま放置するわけにはいきません。それは、恵迪寮の「廃寮」を意味するからです。恵迪寮が「廃寮」になれば、恵迪寮同窓会の維持も困難になると覚悟しなければなりません。

そこで、万やむを得ず、恵迪寮同窓生として恵迪寮存続のため、大学側に我々の「熱意と誠意」を示すため、現恵迪寮大改修支援募金を行い決意をしました。

多くの同窓生のご理解とご支援をお願いする次第です。

(現恵迪寮大改修支援募金実行委員会委員長 八重樫幸一(S41入寮)記す)


恵迪入寮50周年の集い報告

[サロン]

報告:恵迪入寮50年の集いー入寮50周年そしてこれからの生き方を考えるー
呼びかけ人代表(大沼博良)

【昭和42年入寮・昭和43年入寮・昭和44年入寮】
恵迪入寮50年の集い(昭和42・43・44年入寮)として、当時の寮委員会の委員長が連名で集いを呼びかけた。呼びかけ人は、道内在住ではなかったが道内在住入寮者と連携して計画を進めた。
計画は、この集いを3部構成+オプション四部として検討した。
第一部 開拓の村・旧恵迪寮舎での寮歌斉唱と記念撮影見学
第二部 第二部 丸駒温泉にて「恵迪とわたし」と題して、3人によるスピーチを行い、懇親会へ向けての話題提供をした。
第三部 第三部 懇親会 一次二次三次まで計画し、大いに盛り上がった。
第四部 第四部 翌日 現北大恵迪寮への表敬訪問。

【第一部】
五十年ぶりの再会。開拓の村入口では「オー○○」「えっ?だれ?」などの声が飛び交う。お互い恵迪寮時代とは違う身なりと風貌。わからなくて当たり前か。
「○○!」「わからなかった」・・・。お互い名を名乗ってはじめて誰なのかを知ることもあった。
記念撮影と「都ぞ弥生」斉唱そして、旧恵迪寮舎内部を見学実際の恵迪寮とはすこし違うところがあったが、
「ここが寮務室だったな」「反対は何だったっけ」と記憶を探る時間であった。
旧恵迪寮があることで、これからもまた思い出と出会うことが出来そうである。
第一部終了後、丸駒温泉のバスで一路温泉へと向かった。約一時間半のバスでは、自己紹介を兼ねたその後の人生を報告しあった。

【第二部】
丸駒温泉に到着後ゆっくり休む間もなくすぐに「セミナー」をする。
昭和43年入寮の3人(伊藤誠一、竹田秀人、両角憲二)による「恵迪と私」と題してミニセミナーを実施。寮生活とその後の人生の一端を報告した。時間の関係でセミナーとはいえ十分な話し合い・感想の出し合いは出来ず、第三部の懇親会にやることになった。
セミナー後、既に外は暗く湖越しの山並みの景色は翌朝に持ち越したのであったが、各自ゆっくりと温泉につかり北の秘湯の情緒を堪能した。

【第三部】
いよいよ懇親会。物故者三八名への黙祷から始まる。二時間では足りない時間で自己紹介を兼ねた「恵迪と私」を披露する。バスの中でもやったことであるが、バスで来なかった方には十分な時間で報告をした。
差し入れのアルコールがたくさんある中、報告とは別にテーブル毎に大いに盛り上がった。
あっという間の懇親会一次会。
寮歌のリクエストで思う存分歌った。
懇親会二次会は、部屋を変えて続く。寮歌三昧であった。と、同時に入寮当時大学紛争の様子(校舎の封鎖や集会・デモ)の映像をたっぷりと鑑賞しました。これは、北大職組の方が8ミリ撮影し、DVDに編集したものを今回の集いで当時を思い出す一助として提供していただいたものです。そのDVDがほしいとの希望が殺到した。
懇親会三次会。またまた、部屋を変え、まだ飲み足りない連中と話し足りない連中が2時過ぎまで続く。

【第四部】
九時半にホテルのバスで札幌駅までの予定を北十八条まで送ってもらい、建て直した後の現在の恵迪寮へ有志14人で表敬訪問をした。
旧恵迪寮の跡地の傍らを通り、新しい校舎が建つ中記憶を辿った。旧恵迪寮がここにあったという碑も見ながら現北大恵迪寮へ訪問。今は第311期寮委員会という。私たちは、193期から200期寮委員会であった。
現寮委員の案内で寮内を見学する。かつての恵迪寮での様ではなかった。当然であるが。すでに入寮から五十年が過ぎている入寮当時と違って当たり前であるが、何とも言えない気持ちになってしまう。
しかし、自治寮として存続していることには敬意を表さざるを得ない。
今は、東大駒場寮はない。京大吉田寮は、廃止の危機に遭っている。
現北大恵迪寮も新寮問題が出ているという。ひきつづき自治寮として続いてほしいと願わざるを得ない。そして、恵迪寮そのものが存続することを強く思わされた「恵迪入寮五十年の集い」であった。

写真は以下をクリックしてご覧ください。

報告文書(写真)