日付アーカイブ: 2018年9月26日
士幌小屋チセ・フレップ40周年記念バスツアー 開催報告
[事務局からのお知らせ]
恵迪寮生たちが北海道十勝の士幌町に建てた研修施設「士幌小屋チセ・フレップ」の設立40周年記念式典が、9月16日に士幌町で開催されました。
記念式典にあわせて、恵迪寮同窓会でバスツアーを開催したので報告します。
バスツアーには、OBが25名、学生が18名、合計43名が参加しました。
9月16日の朝、貸切バス1台で札幌駅北口を出発し、途中、恵迪寮と新千歳空港に立ち寄り参加者が全員そろい、士幌小屋へ向かいました。
バスの中では、DVD「清き國ぞとあこがれぬ」を鑑賞し、寮歌「都ぞ弥生」(M45年)、「草は萠え出で」(S53年第70回記念祭歌)を歌いました。また、小屋設立に関わった方から、当時の話を紹介してもらいました。
高速道路がつながったので、当時と比べると移動時間が大幅に短縮し、便利になりました。
お礼
多くの方にバスツアーに参加いただきました。ありがとうございました。
OBの方々から、士幌小屋設立当時の貴重なお話しを聞くことができました。
現在、寮生の活動として、新歓士幌ツアー、サマーキャンプ、学習サポート塾などが行われており、小屋が有効に活用され、町民と寮生との交流が図られております。
士幌小屋は、恵迪寮にとって貴重な財産であることを実感することができました。
40年の歴史の中で、士幌小屋に関わった寮生、OB、OG、町民の皆様に感謝したいと思います。
50周年に向けて、士幌小屋を拠点にした活動が活発に行われることを期待します。
OB、OGの皆様も機会があれば、ぜひ士幌小屋に足を運んでいただきたいと思います。
ありがとうございました。
一般社団法人 恵迪寮同窓会 士幌バスツアー実行委員会代表 佐野将義(H2)
以上
加藤忠一さんの自作絵画の公開について(第1弾)
[サロン]
【謹告】
恵迪寮同窓会広報委員長の八重樫幸一(S41)です。
この度、昭和36年入寮の加藤忠一さん(画家、相模原市在住)から、次のようなお話をいただきました。「恵迪寮時代の生活を絵にしたため、それを本として出版しました。ついては、それを何回かに分けて恵迪寮同窓会のFacebookページに公開していきたい」とのことです。
これも、広い意味での恵迪寮の文化的財産といえるだろうと思い、快く申し出をお受けすることといたしました。
なお、加藤さんはお酒もこよなく愛されているようで、東京都内にある多くの居酒屋の絵もほのぼのとお描きになっています。
(追)折角の機会でもあり、ホームページ(サロン)にも掲載させていただきます。
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0表紙:
『絵で見る青春の恵迪生活―昭和三六~三八年の北大・恵迪寮―』のご紹介
上記の本を、昨年アマゾンkindleで出版しました(定価100円)。
電子ブックに不慣れな方もおられるかと思い、許されれば本の内容を同窓会のFacebookページで公開させて頂こうと思います(文章は簡略化)。
00冬の恵迪寮玄関:
当時の教養部の教室(クラーク会館の近く)は寮からかなり遠かった。冬には雪が積もり、寒いので、授業に出るのは大変だったが、寮の外観は趣が出た。
1恵迪寮とは:
「恵迪」とは、書經にある「迪に恵えば吉し(みちにしたがえばよし)」から取ったものである。この言葉を、寮の一期生佐藤昌介(後の総長)が揮毫した額が、食堂に懸っていた。
2寮の構造:
寮は2階建て、4棟構成だった。寮生が5人ずつ居住した部屋が60あった。部屋には洗面台はあったが、トイレはなく共用だった。部屋割りは半期毎に変更された。
3入寮詮衡会:
寮の運営は自治会に任されていたので、入寮詮衡も自治会が行った。詮衡基準は経済的困窮度が第一だが、その他は明らかにはされていなかった。筆者は、先輩牟田悌三(昭和20年入寮、俳優)が寮を訪問するテレビを見て、寮生活にあこがれるようになったことをアッピールした。
以上